『ドラゴンボール レジェンズ』影の立役者が語る、制作と技術をつなぎ、プロジェクトを成功に導く秘訣とは?【SPOTLIGHT】

第4回となる【SPOTLIGHT】シリーズでは、『ドラゴンボール レジェンズ』などのプロジェクトでプロデューサーたちと外部の技術チームをつないだ影の立役者の河原真太郎さんに焦点を当てます。

「チームを助けている仕事ではなく、自分もチームの一員という考え方が大事」

さながら遠くから戦況を見て戦略を立てる参謀ではなく、戦場で仲間たちと一緒に戦う軍師。現場に立ちながらも開発全体を俯瞰的に見てトラブルを解決していくプロジェクトデザイナーという仕事内容について語っていただきました。また、河原さん自身の経歴、そして仕事に対するこだわりなどを伺っています。

【SPOTLIGHT】とは?
ファンファーレ編集部が、今気になるバンダイナムコエンターテインメントの社員に話を聞く連載企画。仕事に取り組む社員の素顔に【SPOTLIGHT】を当てて、これまでの経験や思い、本人のキャラクターを紐解きます。本シリーズを通して、これからのエンターテインメントが作る未来を照らします。

世界中のプレイヤーとの対戦が楽しめるアクションゲーム『ドラゴンボール レジェンズ』を影で支えた、プロジェクトデザイナーの河原真太郎さん。今回は河原さんに、プロジェクトを支える仕事の魅力を語っていただきました。

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河原 真太郎

バンダイナムコエンターテインメント所属
第1IP事業ディビジョン第1プロダクション3課 シニアテクニカルマネージャー

2006年バンダイネットワークス入社。プログラマーとしてゲーム開発に携わったあと、バンダイナムコエンターテインメントのシニアテクニカルマネージャーに就任。『ドラゴンボール レジェンズ』や『僕のヒーローアカデミア ULTRA RUMBLE』などの開発に携わる。

俯瞰的に制作と技術をつなぐのがプロジェクトデザイナーの仕事

――まずは、現在の河原さんのお仕事について教えてください。

河原:肩書はシニアテクニカルマネージャーとしてプロジェクト全般の技術的な面をメインにサポートしていますが、社内ではプロジェクトデザイナーという役割を提唱しています。

ゲームの制作には多くの役割の人が関わって進んでいきます。プロデューサーやプロジェクトメンバー、外部の開発会社さま、法務や翻訳、品質保証部など多岐にわたります。

そのタイトルに関わる人たちのあいだを取り持ち、タイトルをゴールに導くための隙間を埋めて、道筋をデザインしていく仕事です。コーディネーターという言い方もできますね。

具体的な例を挙げると、『ドラゴンボール レジェンズ』のネットワーク部分の技術的なサポートをしていました。アプリ本体を作る開発会社さまとサーバーを含むネットワーク部分を作る開発会社さまは、それぞれ違っているんです。なので、プロデューサーと各社のあいだに入って、技術的観点からどんな接続方法が一番良いのか、などの話を調整しました。

2018年に配信され、51の国と地域で全世界同時通信対戦を可能にしたスマートフォンアプリ『ドラゴンボール レジェンズ』

――河原さんのような方が入るまでは、プロデューサーの方が直接開発会社さまとやり取りをされていたのでしょうか?

河原:そうですね。弊社は基本的に社内に開発チームがおりませんので、開発会社さまに依頼してゲームを作っていただいています。できあがってきたものに対して技術的な判断をする人が必要だよね、というところで声をかけられたのがきっかけで、今もずっとそのポジションで仕事をしています。

『ドラゴンボール レジェンズ』は、当時としては最先端のネットワーク技術に挑戦をしていて、社内にそういった技術に精通しながら、関係各社とコミュニケーションをしている人があまりいなかったんです。なので、プロジェクトにとって最適な技術の選択に関わっていました。

例えば、『ドラゴンボール レジェンズ』のインフラはGoogle Cloud社のクラウドサービスを使っているのですが、世界中からの膨大なアクセスを捌くために、当時はまだ新しかった「Cloud Spanner」という技術を採用し、その開発各社との仲介を行っています。今どんなバグが出ていて、いつまでにどう直してほしいか、みたいなことを僕が確認し、各所に伝えて修正してもらい、タイトルの全体の練度を上げていく、というイメージですね。

『ドラゴンボール レジェンズ』の世界大会では肝が冷える思いも

――遭遇したトラブルで、特に肝が冷えたのはどんなものですか?

河原:『ドラゴンボール レジェンズ』の大会を開催した時です。アプリ内で予選を行い、戦績の良い16名の方々をラスベガスにご招待させていただき、世界最強を決めるという大会を開いたんです。

2019年5月に行われたDRAGONBALL LEGENDS SHOWDOWN IN LAS VEGASの様子

――海外での大会となると苦労も多そうです。

河原:どんなに準備していても、大会前日も当日も機材トラブルなどが多かったですね。アメリカは労働時間に厳しいので、19時になったら制作チームはみんな帰ってしまうんです。

19時には前日リハーサルが終わらなかったので、結局全スタッフでのリハーサルはオープニングの部分しかできず。残りは日本のスタッフで行い、ぶっつけ本番に近い状態でした。

全世界同時生放送開始早々に敗者復活用のトーナメント表のプログラムのアルゴリズムに不具合が見つかり、正しいトーナメント表ができないことが発覚して。プログラムを制作したスタッフは現地にはおらず、時差の関係で連絡もとれず、大ピンチでした。

全世界に生放送をしていて、進行を止めることもできないため、ミスをするリスクはあるがプログラムではなく手入力する方法にして、なんとかそのピンチを脱し大会は滞りなく進行することができました。

イベントが始まるカウントダウンは、それまでの人生でなかったくらい心臓がバクバクしました(笑)。

トラブルを予見し、新たな挑戦のチャンスに変える

――プロジェクトデザイナーには、どのような資質が求められると思いますか?

河原僕は火消し部隊的に動いているんですけど、本当は防火をしないといけないんですよ。

タイトル制作の長い期間のなかで起こりそうな問題を見つけるために、技術的な要件に関してもプロジェクトのマネジメント的な部分でも、敏感になる必要があると思います。機会損失を防ぐために、わずかでもリスクになりそうなことを予見できることが大切ですね。

――トラブルを未然に防ぐために、いち早く気づくことが大切なんですね。

河原:そうです。弊社の場合は開発会社さまに依頼しているので、開発上のトラブル対応のノウハウがたまりづらい側面もあります。だからこそトラブルを未然に察知する人が社内に必要なんです。

より多くのタイトルに関われるぶん、大変ではあるんですけど、プロジェクトデザイナーとしての練度を上げていくことはできると思います。

――並行してたくさんのタイトルに関われることがこのお仕事の魅力でもある。

河原:そう思います。プロジェクトにしっかりとコミットしていれば、企画などに対して自分の意見を出すこともできます。

――なるほど。河原さんがお仕事をされるなかで、達成感を得られるのはどのような時ですか?

河原:すべてのプロジェクトが上手くいってスケジュールどおりに発売できるとうれしいんですけど、トラブルはどうしても起きてしまう時もあるので、それを乗り切って正常化した時に達成感を感じます。

大変なトラブルを切り抜けて、「お前がいなかったらこのタイトルは上手くいかなかったよ」と言われるのもうれしいですね。ただ、その時はもう気持ちは次のトラブルを未然に防ぐために向いています(笑)。

なにかとトラブルがあるからこそ、思い切った挑戦をすることで活路を見出せたりすることもあるのが、おもしろい部分ですね。自分のアイデアが上手くハマった時はすごく気持ち良いです。

若くして夢を叶え、一度はゲーム業界を離れようとも思った

――ここからは河原さんのご経歴を伺っていきたいのですが、そもそもゲーム業界に入ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

河原:僕の実家はパン屋さんで、小学校1年生くらいの時は、ずっと親のあとを継いでパン屋になると言っていたんですよ。でもそこからファミリーコンピュータに出会い、『ゼルダの伝説』や『スーパーマリオブラザーズ』など、多くの人が通ってくる作品を知って、ゲームに興味をもつようになりました。

そこからプログラムというものの存在を知って、近所のお兄さんが読んでいたプログラミング専門の雑誌を読んだんですよ。マシン語と呼ばれる16進数の羅列がページいっぱいに書かれていたり、付録に1000行くらいのBASICプログラムが書かれていて、それを打ち込むとゲームになるのが、すごくおもしろいなと思ったんです。

当時ウチのパン屋に住み込みで働いていた人が、パソコンを買い替えるタイミングでそれまで使っていたパソコン(PC-8001)をくれたんです。そこからはプログラミングに熱中しました。ゲームが作りたいというよりも、純粋にプログラミングが好きでしたね。

――ゲームに、というよりもプログラミングに熱中していたんですね。

河原:高校では物理部に入ったんですけど、それがラジオ同好会とパソコン同好会、そして物理同好会がひとつになった部だったんですね。なので、物理室になぜかパソコンがあって、格闘ゲームを作ろう、なんて言っていました。1年ぐらいかけて、ボタンを押すと球体の人形がパラパラ漫画みたいにパンチをくり出す、みたいなものをBASICで作っていましたね。

――プログラミングが楽しくて続けていくなかで、ゲームを作りたいと思うようになった。

河原:そうなんです。でも、ゲームを作るという目標は、案外早く叶ってしまったんです。

高校卒業後は専門学校に進んだんですけど、学生の時にゲーム開発のアルバイト募集があったので思い切って応募してみたら、バンダイの『ガンダムウォー』というカードゲームのPCゲームの開発でした。

この時は、まさか今こうしてこちら側の立場として話をするとは思いもよりませんでしたが、その開発実績を元に家庭用ゲームの開発会社に就職しました。

入社後はいくつかのゲーム開発に携わり、上司に怒られながらバグを出しては直して、ひたすらにゲームを作っていました。600個くらいのバグをひとりで抱えて途方に暮れていたこともありましたね(笑)。

2本目に携わったタイトルでは日本語版を作ったあとにアメリカ版とヨーロッパ版を作って。すべて完成したあとに各地域の言語で自分の名前のスタッフロールを眺めていたら、自分の夢が叶っちゃったな、と思ったんです。

――当時河原さんはおいくつでしたか?

河原:27歳くらいだったと思います。やりたいことはできたと思って、転職して営業の仕事がしたいなと思っていたんです。

――ゲームの開発からは離れようと思ったんですね。

河原:それまでと違うことがしてみたかったんです。営業職以外なら、プログラミングの知識を生かして、子どもが遊ぶおもちゃを動かす仕事も良いかなと思い、バンダイなどのおもちゃメーカーの仕事も探していたんですよ。

それでモバイルのネットワーク系サービスを扱うバンダイネットワークス(当時)にご縁があって、そのままバンダイナムコエンターテインメントに、という感じですね。

昔、NTTが主催する電話応対コンクールに出て、神奈川県で1位になったことがあります! コミュニケーション力にはちょっと自信あります。

ゼロからイチは作れないが、1を10にすることはできる

――河原さんがお仕事に向き合ううえで、心掛けていることは何でしょうか。

河原:バンダイネットワークス入社当時の上司から言われたことではあるんですけど、「自分がやりたいことをしたいなら、やりたくないことも全部やれ」というスタンスは仕事のポリシーとしてずっともっています。なので、「忙しい」を理由に仕事を断ることは基本的にしないですね。

まずはとりあえず相談を受けて、なんとかしようというふうに考えています。経験上、そこで断ってしまうと次につながらないんですよ。

これまでさまざまなタイトルに関わらせてもらって、経験も積むことができて、結果としてやりたい仕事は手を挙げればやらせてもらえるようになっています。

『ドラゴンボール レジェンズ』もそうでしたが、会社のさまざまなプロジェクトから「助けてほしい!」という依頼がどんどん舞い込んでくるようになっているんです。それは、これまでがんばってきて良かったことかなと思います。

――若いころにはゲームを作りたいという目標をもたれていましたが、その夢を叶えたあと、バンダイナムコエンターテインメントに入社してからの仕事のモチベーションはどこにあったのでしょうか。

河原:入社してすぐに気が付いたんですが、まわりにいたプランナーの人たちは0から1を作り出す力がすごくて、自分にはそれがないなと思ったんです。

でも逆に、技術的な観点で1を10にすることはできるという自信がありました。なので、技術面でプロジェクトを支えることであったり、世に生み出されたものをより良くすることであったり、そういった部分に次のステージの楽しさを感じています。

――河原さんは数多くのタイトルに携わってこられましたが、ずばりプロジェクトが上手くいくために必要なことは何でしょうか。

河原:言葉としては当たり前のものになってしまいますけど、本当に自分事にすることだと思います。そのゲームのプロデューサーに近い感覚で見ることが大事で、絶対に必要な視点だと思います。

以前の会社でもよく、「自分が会社の社長だったらそうするのか?」と言われていたんです。社員であっても、自分が会社の舵を握っている気持ちで考える、というのが大事だと思います。

――河原さんからこの記事の読者に向けて、メッセージがあればお願いします。

河原:もしエンタメ業界に興味のある方が読んでくださっているのなら、プロジェクトデザイナーという「軍師」のような仕事の魅力を感じてもらえたらうれしいです。

今回お話したようなエピソードをもっていなくてもいいんですけど、そこに共感してくれる方や、自分もそういうことをしてみたいと思っている方にはぜひエンタメ業界に飛び込んでほしいですね。

若かろうが経験がなかろうが、同じ志をもっている人であれば、エンタメの仕事はきっとすごくおもしろいと思います。大変だというお話をたくさんしましたが、楽しい仕事でもあるので、それは改めてお伝えしたいです。

現場に出ながらプロデューサーの後ろで多くの関係者をあの手この手でつなげてプロジェクト全体を勝利(成功)に導ける人を探しています。
※2023年3月現在。詳しくはこちら

【あなたは未来のエンターテインメントをどのように照らしますか?】
河原: 少し前ならできなかった魔法のようなことが技術の進歩とともにどんどんできるようになってきています。と、同時に専門分野も多岐に渡り、ひとりで何もかもできることにも限界がきていると感じます。

これからは個の才能をつなぎ合わせて群にすることでもっと素敵で壮大なエンターテインメントが実現できるはず。自身のもつ技術的な知見と個々の能力をつなぎ合わせプロジェクト全体をデザインするプロジェクトデザイナーの役割をもって、これからのエンターテインメントを照らしていきたいと思います。

ファンファーレでは皆さまのご意見、ご感想を募集しております! 編集部にて拝見させていただきました上で、今後の改善のための参考にさせていただきます。

【編集後記】
プロジェクトデザイナーという職種の名前はあまり聞きなれたものではありませんが、タイトルに関わる方々のあいだをつなぎ、ゲームの完成というゴールに至るまでの道筋を作り上げていく仕事であることを理解すると、プロジェクトをデザインするというその名称もしっくりきます。
そういった裏側で動く方々がいるからこそ、制作チームや開発陣が作品に集中できるのだなとも思わされました。
お話のなかでもあったとおり、まさに軍師ポジション。人材募集中とのことで、この記事を読んだ方がバンダイナムコエンターテインメントの新たな諸葛孔明となるのを楽しみにしています!

取材・文/村田征二朗
1989年生まれのライター。しゃれこうべ村田、垂直落下式しゃれこうべライターMなどの名でも活動し、コンシューマータイトルやスマートフォンアプリのゲーム関連記事を執筆。原稿料の8割はプロレス観戦のチケット代に消える。

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