バンダイナムコ知新「第5回 国民的野球ゲーム『ファミリースタジアム』シリーズのこれまでと未来」岸本好弘氏、森口拓真氏インタビュー

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん

1986年にファミコンソフトとしてリリースされた『プロ野球 ファミリースタジアム』。とっつきやすく、誰にでも楽しめるスタイルを30年以上守り続けた本シリーズは、どのように作られてきたのか? そしてシリーズ最新作『プロ野球 ファミスタ 2020』の発売が決定した今、目指す未来は? 初代『ファミスタ』の制作者・岸本好弘氏と、現在の『ファミスタ』シリーズのメインプロデューサー・森口拓真氏のお2人に語っていただきます。

『プロ野球 ファミスタ 2020』公式HPはこちら

第5回 国民的野球ゲーム『ファミリースタジアム』シリーズのこれまでと未来

岸本好弘さん

岸本好弘
1959年兵庫県出身。1982年にナムコ入社。『パックランド』や『バラデューク』などのアーケードゲームを手掛けたあと、 任天堂のファミリーコンピュータ用ゲームを世に送り出した『ファミスタ』の生みの親。以降、『ファミスタ64』までシリーズに携わる。2001年にナムコ退社。2018年に「遊びと学び研究所」を設立し、ゲーミフィケーションデザイナーとして活躍中。好きな食べものはオムライス。

森口拓真さん

森口拓真
1986年神奈川県出身。2009年にバンダイネットワークス(当時)入社。現在はバンダイナムコエンターテインメントアジア事業ディビジョン 第2プロダクションに勤務するゲーム開発プロデューサー。『ファミスタ』シリーズのメインプロデューサーとして活躍する傍ら、2019年にNintendo Switch用『ニンジャボックス』のアシスタントプロデューサーも務めた。2020年発売予定の『ファミスタ』最新作、『プロ野球 ファミスタ2020』を鋭意開発中。

遊びの時間から生まれた「ファミスタ」の起源

――『パックランド』(1984年)や『バラデューク』(1985年)など、元々はアーケードゲームを手掛けていた岸本さんですが、その後『プロ野球 ファミリースタジアム』(以下『ファミスタ』)(1986年)という家庭用ゲームの開発に携わることになります。なぜ突然、野球ゲームを作ることになったのでしょうか?

岸本:当時、兵藤岳史(※1)という人間が開発企画課に入ってきて、彼が企画担当で、開発一課の私がプログラム担当で、一緒にゲームを作っていたんです。企画課では、ゲームの企画を書いても、課長がオーケーしないとプログラマーまで仕事が下りてこないシステムだった。兵藤は、『トイポップ』(1986年)で初めてのビデオゲームの企画を担当したんですが、彼が書いた仕様に上司がなかなかハンコを押してくれない。今考えるとありがたいよね。そうなるとプログラマーの私はすることがないんだから(笑)。

※1 兵藤岳史
1958年生まれ。1983年、ナムコ入社。家庭用ゲーム機では『バトルシティー』、『さんまの名探偵』、『テイルズ オブ ファンタジア』、『テイルズ オブ デスティニー』、アーケードゲームでは『トイポップ』などの制作に携わる。現在、バンダイナムコ研究所、コーポレート室。

森口:なるほど(笑)。

岸本:で、することがなければ遊んでりゃいいじゃんという時代だったので、そのとき何をやっていたかというと、家庭用ゲーム機の野球ゲーム。同僚の開発者たちと延々と野球ゲームをやっていた。そうしたら、それらの野球ゲームにいろいろと不満が出てきたんです。

――どのような点が不満だったのでしょうか?

岸本:守備のときに野手が動かせないとか、選手個々のパラメーターはあるだろうに名前がないから感情移入できないとか……。「ピッチャーとバッターの対決はアップになったほうがいいよ」とか、「走塁も行ったり戻ったりしたいよね」とか、不満を言いながら遊んでいたら、上司の永島洋武さん(※2)が「だったらおまえが作ればいいじゃん」って言ったんです。そして「じゃあ作りましょう」となったのが『ファミスタ』の始まり。「『ファミスタ』を作るときにどこで悩みましたか?」ってよく聞かれるんだけど、『ファミスタ』で採用された仕様は、当時永島さんと遊びながら話していたことですべて決まっていたんです。だから開発が始まってからは、そういった諸々をプログラマーとして実装していくだけだった。

※2 永島洋武
1978年、ナムコ入社。『ファミスタ』のほか、『スカイキッド』、『バベルの塔』、『ファミリーテニス』などを手掛けたゲームデザイナー。

――まず企画ありき……ではなく、他社の野球ゲームを遊んでいたことがきっかけだったのですね。

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん
お2人は、ナムコスターズのイカしたスタジャンとユニフォームでご登場!

岸本:そして、もう1つの理由があります。当時は、ヒットしたアーケードゲームをファミコン(ファミリーコンピュータ)で出すというのが黄金パターンだった。ファミコンでアーケードゲームを再現するのって難しかったんだけど、それもナムコのプログラマーが作ると、アーケードゲームと同じようなゲームがファミコンでできてくるんです。

――確かに当時のナムコのファミコンゲームは、『ゼビウス』(1984年)を始めとしてみんなクオリティーが高かったですね。

岸本:そうしてアーケードゲームをファミコンに移植しているうちにネタが尽きちゃったので、ナムコオリジナルのファミコンゲームを作ろうということで、一番最初に発売されたのが『スターラスター』(1985年)。そういう流れで永島さんと始めたのがファミリーシリーズ(※3)。ファミコンなんだから、友だちや兄弟や親子2人で対戦しておもしろいゲームを作ろうと。あのころやっぱり、一番人気のスポーツゲームは野球で、その次がだいぶ差があるけどテニスだった。そういった背景も、『ファミスタ』の開発につながったと思います。

※3 ファミリーシリーズ
『ファミスタ』、『ファミリージョッキー』、『ファミリーテニス』など、ナムコから発売された「ファミリー」を冠したゲーム作品の総称。

岸本好弘さん
当時の開発部署には大きなプロジェクター式のテレビがあって、いろんな人と野球ゲームをやっていたと語る岸本さん

――野球ゲームをファミコンで作るということに、不安はありませんでしたか? ファミコンのコントローラは、十字ボタンとABボタンだけでしたし……。

岸本:それは全然なかった。その状況下で作るしかなかったわけだから。容量の少なさも含めて、それしかない中でどう工夫するかが当時のゲーム開発だったので、不安はなかったですね。また、アーケードの野球ゲームは長時間プレイできなかったし、やっぱり家でじっくり遊べるファミコンのほうが向いていると感じていました。

『ファミスタ』シリーズの資料
現在もバンダイナムコに残る、『ファミスタ』シリーズの貴重な資料の数々!

――『ファミスタ』の構想を練ったのは川崎球場(※4)で、岸本さんはかなり通われたと聞きました。

※4 川崎球場
かつて神奈川県川崎市に存在した野球場。使用チームは大洋ホエールズやロッテオリオンズなど。現在は、富士通スタジアム川崎に改称。主としてアメリカンフットボールの拠点となる球技場に生まれ変わった。

岸本:当時のナムコの本社が矢口だから、近かったんだよね。『ファミスタ』制作で野球場を研究しに行かねばと調べたら、「川崎球場ってあるんだ?」と(笑)。川崎球場は、そのとき女房と初めて観に行ったんだけど、立派な競輪場の隣にボロボロの球場があって。「こんなところでプロ野球をやってるわけないじゃん」って女房は言っていたんですが、入ったら2チームが試合をやっていた。でもガラガラだから、観客は席を好きに移動できる。ぐるぐる回って3塁側に行ったときに、本物の落合博満選手がいて驚きました(笑)。川崎球場って観客席と選手がすごく近いんです。ファールエリアがとても狭いんで。

――お客さんがいなくて客席を自由に移動できたのが、研究に役立ったのですね。

岸本:いろんな角度で見て、ゲームの視点はどこがいいんだろうと研究しましたね。バックネット裏も、ちょっと追加料金払うと座れたんで。やっぱり横から見るのではなく、バックネット裏から見るのがベストだという結論に達しました。バックネット裏の一番上からの見下ろし画面が、ピッチャーとバッターの駆け引きとか、守備の動きとか、走塁とかが一番表現しやすいと。ファミコンの性能を考えると、視点がぐるぐる回るとか、逆の角度から見せるのも大変だったしね。

『ファミスタ』メイン画面のデザイン
当時岸本さんが描かれた、『ファミスタ』のメイン画面のデザイン。川崎球場に通い、このバックネット視点が決定した

スポーツゲームでもアクションゲームでもない『ファミスタ』というジャンル

――森口さんの少年時代の、野球と『ファミスタ』への関わりについてもお聞きしたいと思います。森口さんは、子どものころから実際に野球をプレイされていたと伺いました。

森口:はい、小学校3年生のころから、今までずっとやっています。ポジションはもう、ずっとキャッチャーです。キャッチャーしかできないんですよ(笑)。他のポジションは視点が違うので、別の競技みたいな感覚になっちゃうんです。

――奇しくも『ファミスタ』視点ですね(笑)。

一同:(笑)

――森口さんは、初代『ファミスタ』と同い年なのですね。

森口:そうなんですよ。1986年生まれでして。僕が4カ月のときに『ファミスタ』が発売されたんです。

――『ファミスタ』以前も含め、野球ゲームとの出会いは覚えていますでしょうか?

森口:一番最初に遊んだ野球ゲームが『ファミスタ』でした。『ファミスタ’92』(1991年)か『ファミスタ’93』(1992年)ですね。うちは年間2~3本しかゲームを買ってもらえなかったので、父が買って家にあった『ファミスタ』でずっと遊んでいました。1人でも遊んだし、父や友だちとも対戦していました。

――『ファミスタ』を遊ぶきっかけは、お父さんがやっていたからだったんでしょうか?

森口:はい。僕がねだった記憶はないので。親父の影響でうちの姉も野球を観るのが好きだったんで、姉弟で遊ぶように買ってくれたのかな。物心つくころには、ファミコンと『ファミスタ』が家にありました。友だちも野球好きが多かったので、めちゃめちゃ対戦しましたね。実際の野球をやったあと、友だちの家で『ファミスタ』をやって勝負する……というのは鉄板の流れでした。

森口拓真さん
プロ野球選手を目指していたこともあるという森口さん

――プレイヤーの立場だった森口さんにとって、『ファミスタ』はどんな存在でしたか?

森口:テレビで見ている選手とまったく同じ選手を操れる魅力がありましたね。基本的に個々の能力はもちろん、伊藤智仁選手の横変化がすごいスライダー……なんていう要素は、もうすっかり入っていた。ちょっと誇張されているのが、ゲーム感があってすごくいいんです。あと、簡単そうに見えてちゃんとハンドスキルを要すると感じた最初の作品というか。

――スポーツゲームって、ひいきのチームや選手があるプレイヤーにとって、「キャラゲー」的な魅力がありますよね。

森口:はい。そういえば、『スーパーファミスタ5』(1996年)で「ひいき機能」というシステムがありまして。例えばひいきチームにジャイアンツを設定すると、オープニングでジャイアンツのロゴがバーンと出て、トップ画面のメインビジュアルの選手がジャイアンツのユニフォームを着ていて……。

岸本:あったあった。

森口:そういう要素がすごく嬉しかったんです。画期的だなと。しかも最初に「この野球ゲームはジャイアンツファンのために作られたものです」という文字がジャビットくんと一緒にピカーンと出る(笑)。

一同:(笑)

森口:ファンの心をくすぐる、なんて素敵なゲームなんだろうと……。もちろん、全チームで遊べるのも魅力ですが、そういうひいきチームで遊べる醍醐味を存分に味わわせてもらいました。

――そして『ファミスタ』は、スポーツゲームでありつつ、アクションゲームとしてのおもしろさが非常に強い作品です。

森口:制作側に回った現在も、ゲーム雑誌にリリースを出すときに、「スポーツゲーム」や「野球ゲーム」ではなく、「野球アクションゲーム」というジャンル表記にすることを僕たちはずっと貫いています。「『ファミスタ』というスポーツ」と言ってもいいぐらいですね。

――そのあたりは、以前からアクションゲームを作られていた岸本さんとしては、意識されていたのでしょうか?

岸本:スポーツゲームを作ろうなんて全然思っていなかったですね。アクションゲームの中に、野球の世界観を採り入れたというイメージです。2人で遊んで楽しいアクションゲームが作りたいと思ったときに、野球が流行っていた。じゃあ野球を舞台にしよう、みたいな考え方。でもそれは私というより、ナムコのDNAなんじゃないかな。

ナムコスターズのレプリカユニフォーム
森口さんが着ているのは、『ファミスタ』内オリジナルチーム、ナムコスターズのレプリカユニフォーム。背番号は765!(ナムコ)

みんな大好きナムコスターズ登場の経緯は……?

――『ファミスタ』シリーズ独自の様々なフィーチャーについてお話を伺おうと思います。まずは、『ファミスタ』に登場する「ピッカリ球場」ですが、名前の由来を教えてください。

岸本:「ピッカリ」は、電球がピカっと点いた「ひらめき」のイメージなんです。「アイデアがひらめく瞬間」みたいな。そこから我々『ファミスタ』の開発チームを「PICCARI PRO」という名前にして、光る電球をチームのロゴマークにした。初代『ファミスタ』の球場は1つしかなくて、あのころ一番オシャレだった横浜スタジアム(※5)をモデルにしているんだけど、名前は我々のチーム名の「ピッカリ」でいいんじゃないの、と。

※5 横浜スタジアム
神奈川県横浜市の横浜公園内にある野球場。現在、横浜DeNAベイスターズの本拠地として使用されている。通称はハマスタ。

――初期の『ファミスタ』の選手名が平仮名4文字だったのは、理由があるんですか?

岸本:それは、画面レイアウト的に。4文字しか入らないんですよね。

――単純にもう、画面の幅の問題なんですね。このときに、岸本さんが作られた平仮名フォントがとても読みやすかったと記憶しています。

岸本:うん、あれは結構自信作でした。当時先輩の遠藤雅伸(※6)が『ゼビウス』(1983年)で独特のフォントを作っていたから、対抗心で『ファミスタ』でも自分のフォントを作ったんです。あのころは日本のゲームで平仮名を使っているのがあまりなかったんだよね。ちなみに、私が一番好きなのは、年俸の「俸」の字(笑)。

※6 遠藤雅伸
1959年東京都生まれ。1981年にナムコに入社し、『ゼビウス』、『ドルアーガの塔』などを手掛けたゲームデザイナー。現在、東京工芸大学教授、日本デジタルゲーム学会副会長などを務める。

当時の資料
当時プログラマーだった岸本さんが、文字のフォントまで作成していたことを物語る資料

――ああ、ナムコットスポーツ(※7)の。少ないドット数で「俸」の字を表現したという。各球団選手の最終的なパラメーターは、当時岸本さんが全部お1人で……?

※7 ナムコットスポーツ
『ファミスタ』シリーズなど、ナムコのスポーツゲームの中に登場する架空のスポーツ新聞。のちにナムコスポーツに改題。

岸本:そうです。パ・リーグのデータを作るのが大変なんです。テレビで放映しないので。それも川崎球場にたくさん通った理由の1つかもしれない。パラメーターで一番大変だったのは、ピッチャーの変化球のキレ。スピードガンが球場につき始めたころで、スピードはわかるんだけど、カーブ・シュート・フォークのキレは、野球場でしっかり見ないとわからなかった。

――途中からついた、肩の強さの能力も……。

岸本:それも調べるのが大変だったね。外野からの返球って、練習のときは結構見るんですが、試合ではあまりない。だから、練習の時間帯から観に行って、外野からの返球を双眼鏡で覗きながら、「14番の選手、強い」とかチェックしていた。

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん
「当時のナムコのゲームがすごかったので、他社をライバル視するよりも、社内の同期や先輩よりいいものを作りたいという気持ちが強かった」と岸本さん

――『ファミスタ』といえば、歴代のナムコ作品のキャラクターを選手としてあしらった、ナムコスターズというオリジナルチームが登場しています。こういうチームを入れた理由をお聞かせください。

岸本:もともとプロ野球のシミュレーションがやりたいわけじゃなかったし、アクションゲームに野球の世界観を採り入れるなら、選手名やチーム名があったほうが感情移入できるよねというところから始まっているから、本当は全部ナムコスターズでも良かったんですよ。森口さんがさっき言ってくれたように、「野球じゃなくて『ファミスタ』というスポーツ」みたいな考え方。『ファミスタ』という架空の競技の中でおもしろさを表現するためには、めちゃ球が速い奴とか、めちゃ足が速い奴とか、めちゃホームランを打つ奴って必要だよね、と。それを実際の野球チームに入れるとリアリティーがなくなっちゃうから、そういう極端な、ゲームの中から飛び出してきたようなチームを作ろうと考えたわけです。

――初期のナムコスターズは強いチームではなかったですが、途中から強くなっていったのは理由があるんですか?

岸本:そうだっけ? あまり意識していなかった。ユーザーから「ナムコスターズをもっと強くしてほしい」という要望があったのかなあ。(当時のゲームに入っていたアンケートハガキを見ながら)当時すごいのは、ナムコはアンケートハガキに切手を貼らせるの(笑)。他社は切手がなくても送れるアンケートハガキが同梱されていることが多かったんだけど、ナムコは切手を貼らせるんで、書く人は本気で書いてくるんです。

初代『ファミスタ』のカートリッジと同梱物
初代『ファミスタ』のカートリッジと同梱物。岸本さんの言うとおり、切手なしのアンケートハガキが見られる

――各チーム間のバランスを取ることには腐心されたのでしょうか?

岸本:基本的にはリアルな数字を反映させました。初代『ファミスタ』のころは阪神が強かったからモデルチームも強かった。でもそのあと阪神が少し低迷したんですよ。すると販売から「阪神が弱いと関西で売れないんで、データ強くしてくれ」という要望がきた。だけど「これはちゃんとリアルタイムなデータを使うから毎年発売できるんで」と突っぱねたことがあって、そこから前述の「ひいき機能」につながってくるのかな。「ナムコスターズを強くして」という要望が販売からくるとは思えないので、ユーザーから要望がきたんじゃないのかな。

――『ファミスタ』って、「遊べるプロ野球名鑑」という感じですよね。

岸本:そうですね。でも、完全にはデータ反映が間に合ってないんだよね。年末タイトルだったけど、当時ゲームの製造に2カ月とかかかるから、9月の中旬ぐらいのデータで作っている。それをすごくよく覚えています。だから、シーズンが終わるころには順位が逆転していたりしたね。

――ナムコスターズのピノは、なぜあんなに足を速く設定しているんですか?

岸本:『トイポップ』の主人公ピノが元ネタなんだけど、ピノがアイテムを3つ揃えると、コントロールできなくなるレベルで足が速くなるという仕様があって……。「めちゃめちゃ足が速い選手を誰にしよう?」と考えたときに、ピノにしようと。

――それがのちのちずっと「ピノといえば俊足の選手」という伝統になっていくわけですね。

森口:ナムコスターズは曲者揃いなんですよね。『パックマン』が元ネタの「ぱっく」は強打者だけど足が遅いとか、ピノは打力がないけど足が速いとか。そういう彼らの個性って、今も変えていないんですよ。ファミコン版で遊んでいた方がNintendo Switch版をやっても、同じような能力のナムコスターズが楽しめる。

岸本:四半世紀を超えて同じ個性であると。彼らは今何歳ぐらいなんだろう(笑)。

一同:(笑)

森口:そして、現在もピッカリスタジアムを使わせていただいています。

『ファミスタ』と『ワールドスタジアム』の選手データが掲載された下敷き
「これは重宝した!」という方も多いのでは? 『ファミスタ』と『ワールドスタジアム』の選手データが掲載された下敷き。それぞれ、MSXマガジンとファミコン通信の付録

――ナムコットスポーツを採用した経緯は……?

岸本:あのころは毎朝電車に乗ると、おじさんたちがみんなスポーツ新聞を読んでいたんだよね。だから、結果を載せるならスポーツ新聞でしょう……みたいなノリで入れたと思う。でも、『ファミスタ』が最初ではないんじゃないかな。覚えてないけど。こういった『ファミスタ』の要素について、「画期的でしたよね」とよく言われるんだけど、けっこう元ネタあるんだよね。他作品のいいところもかき集めていたりするんです(笑)。

一同:(笑)

――お2人にとって、他に思い出深い『ファミスタ』のシリーズのフィーチャーはありますか?

岸本:自分的には「かせんじき球場」。自分の描いたドット絵の中では一番の出来だった(笑)。

森口:かせんじき球場も、今でも入れさせていただいてます。

岸本:そうなの?(笑)

森口:はい、リスペクトで(笑)。

岸本:あれは、ジャイアンツの練習場が、よみうりランドに移る前に多摩川グラウンドにあって、それがモデルなんだよね。

森口:僕はプレイヤー時代としては、ファミコン版とスーパーファミコン版とNINTENDO64版をがっつりやったんですけど、『ファミスタ’93』のときに、野球クイズが入っていたんですよ。「ジャイアンツの背番号42は誰?」とか。特にヒントもなく3択で、全然わかんなくて適当に選ぶけど不正解……みたいな。野球のルールとかの出題ではなく、ひたすら該当のプロ野球選手を当てる内容で、めちゃ難しかったのを覚えています。

――ありましたねぇ。

森口:あとは、『スーパーファミスタ4』(1995年)になって、カメラの角度が見下ろしから若干下がって、奥行きが出るようになったのも印象的でした。「『ファミスタ』攻めたなあ」と、偉そうに小学生のときに思っていて(笑)。そして『スーパーファミスタ』シリーズといえば、コンタクトヒッティングと強振の変更でLボタンを押すと、バットがニュッと伸びる(笑)。シュビーンじゃなくて、ニュッと伸びる。それがもう楽しくて(笑)。

一同:(笑)

森口:基本的にリスクもそんなにないので、バットを長くして強振を狙うんですけど。で、追い込まれたら短く持って……。良かったか悪かったかは、賛否両論あってどっちでもいいんですが、「『ファミスタ』、チャレンジしてるじゃん」みたいなところを感じられた要素でしたね。

――そこは、ユーザーインターフェイスが絶妙だと思いました。バットの持ち替えがLRボタンだったんで、手元を見なくてもとっさの判断で切り替えられるんですよね。XYボタンでの切り替えだったら難しかったと思うんです。LRボタンだから、絶好球が来た瞬間に長く持ち替えて打つことができる。

岸本:絶妙だよね。でも、ナムコ社内としては当たり前のことで。自分たちはLRで長い・短いを切り替えられるのは当然だろうと思っていましたよ。

スピーディーな対戦にすべく、無駄な要素を極力省く

――「『ファミスタ』の真髄は対戦にあり」と言っても過言ではないと思います。初期『ファミスタ』を調整しているときに、開発の皆さんで対戦プレイを重ねられたと思うんですが……。

岸本:開発ルームで、私が開発している席の横でみんなでリーグ戦をやっていて、すごく盛り上がっていたね。「うわー!」とか「ホームラン!」とか大声で騒いでいるから、他のゲームを開発している連中から苦情があり、一時期『ファミスタ』禁止令が出たくらい。

一同:(笑)

岸本:でもあのとき、「売れるな」と思ったよね。『ファミスタ』はテストプレイの勝利みたいなところがあった。だって普通、禁止になるまでテストプレイできないじゃん?

――当時の『ファミスタ』の完成度は、社内テストプレイの賜物だったのですね。

岸本:隣で遊んでいるのが直接見られて、「ああ、そこ良くないよね」ってのがわかるのは強いよね。やっぱり仕切っている人がちゃんと生で見ていて調整しないと、本当のバランスのいいゲームにはなりません。

『ファミスタ』攻略本
1年ごとにデータが変われば、もちろん攻略本もそのつどアップデート

――『ファミスタ』がすごいのは、展開がとてもスピーディーで、長くても大体30分以内で1試合が終わる。バランス調整の時点で、そういうプレイ時間も計算していたのでしょうか?

岸本:昼休みに何試合か遊べるようにしてあげたいなと思っていたから、極力、無駄な時間は省くように作っていました。プロ野球を実際に観に行っても、おもしろいんだけど、つまんない時間帯もあるわけで。あの当時プロ野球は1試合3時間くらいかかっていたから、野球のおもしろいところだけ取り出してゲームにしてあげたいと考えていた。最初の『ファミスタ』で、時間短縮の一番顕著な例は、キャッチャーがピッチャーに返球しないところ。あれはやっぱり他社の野球ゲームを研究して、無駄だと思える時間を削ったんです。

――それは岸本さんがアーケードゲームを作られていたことも関係していますか?

岸本:うん、『ファミスタ』のプレイ時間が短いのは、多分アーケードゲームを制作していた影響だと思う。最初から家庭用だけやっていたら、その発想にはならなかったでしょうね。アーケードゲームはいかに短い時間で「楽しかった! もう1回やろう」と思ってもらえるかが勝負。『ファミスタ』も同じで、終わっても「もう1試合!」といかに思わせるか、みたいな。

――アウトになった選手がピューッと足早に戻ってくるのもスピーディーで心地いいし、可愛い。あれはゲームならではの要素で、すごくいいなと。

岸本:あれも時間短縮の一環ですよね。でも当時の『ファミスタ』は、ファールが短縮できていないんだよね。早送りしちゃえばいいんだけど、あのころはできなかった。

『ファミスタ』シリーズの功績で送られた表彰状
『ファミスタ』シリーズの功績で、当時の中村雅哉社長(※8)から岸本さんに送られた表彰状

※8 中村雅哉社長
1925年生まれ。1955年、有限会社中村製作所を創業。1971年、社名変更に先だってNAMCOブランドを使用開始、1977年に社名をナムコへ改める。2017年死去。享年91歳。

――森口さんも現在『ファミスタ』を作るときに、1試合を短時間で終われるように意識されていますか?

森口:そうですね。基本的に同じ考えではあります。ただ、最近のユーザーさんの好みが若干変わってきているなと感じています。昔は9イニングを20分くらいでやるのが主流だったんですけど、最近のユーザーさんは3イニングを3試合やりたい人が増えている。3イニングで別のピッチャーと別のバッターが目まぐるしく違う戦い方を3回ぐらいして、「ああ楽しかった、寝よう」っていう方が多いと感じているので、そこは少し工夫をしています。9イニングの試合を無理矢理させるのではなく、一番最初に「何イニング制にしますか?」とチョイスをさせる。で、調べた結果、3イニングが最も多くて……。

――3イニングでも、打者が全員打席に立ちますしね。

森口:立ちますし、先発ピッチャーもスタミナが減って抑えも出せるし……という。3イニングでも、攻守がグッと詰まった野球が楽しめる。

――過去に森口さんご自身が『ファミスタ』を夢中になってやっていたときの経験は、バランス調整を監修するときに役立っていますか?

森口:はい。でも、バランス調整や追加機能もそうなんですけど、変えていいところと、変えてはいけないところの見極めがすごく難しい。例えば『ファミスタ』って、守備でレフトとショートが同じ動きをしちゃったりするじゃないですか。あれを味と捉えるか、おかしな仕様と捉えるかは、ユーザーさんによって変わる。今の『ファミスタ』のメインの購入者層は、38歳~48歳なんです。うちのゲームではあり得ないデータで(笑)。

一同:(笑)

森口:初代『ファミスタ』のときに小学生~中学生だった人が、買い支えてくれているんです。で、その方たちのお子さんがちょうど小学生~中学生くらいで、そのあたりの年齢層が2位なんですよ。だから1位と2位のデータを見ると、親子で楽しく遊んでもらえているのかなと嬉しい気持ちになるんですけど、どっち向けに機能を振るかという判断をするのが怖い。40歳向けに「昔ながらの変わらない作品が今サクサク遊べます!」でもいいのかもしれないけど、今の小学生向が遊ぶことも考えると、「あのままでいいのか?」と。そんな議論が本当に尽きなくて……。

――ああ、それは本当に悩ましいところでしょうね。

森口:そのために、ユーザーインタビューを取ったりもしています。チームや球場など、設定面については昔を継がせていただいているんですけど、選手の動きに関しては、プロ野球選手の1人になれるゲームというところで細かく高めていけばいいと思っています。最初の『ファミスタ』では、選手のステータスは、パワー、バント、走力、打率とか、4~5種類で表現されていたと思うんですけど、今って50種類ぐらいあるんですよ。コミカルな見かけだけど中身はしっかりしたほうが、ユーザーさんは嬉しいはずです。偉大な大先輩が作った校則を、新しい生徒会長である私はどう改正するのかというところですね。

――これだけ歴史のあるタイトルですから、スタイルを変えるというのはとても勇気が要りますよね。

森口:はい。昔から変わらぬものを求めているお客さんに、ラーメンを頼んだらカレーが出てきたという状態にさせてはいけないと思っています。

岸本:うん、いい例えだね(笑)。

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん

スープごと変えずに味付けを変える『ファミスタ』の進化

――ここ数年の『ファミスタ』と、これから向かうべき進化について語っていただこうと思います。

森口:僕は最初バンダイネットワークスという、バンダイ系列のモバイル会社の内定をもらっていたんです。そのときに会社が合併して、バンダイナムコゲームスに統合されました。だから僕、ゲーム会社に入った覚えはなかったんです(笑)。

岸本:(笑)

森口:ただまあ、僕は薄く広くですがゲームが好きで遊んでいたので、「ゲームも作れるようになるのかなあ」と思っていたら、のちに異動があって家庭用ゲームの営業になった。そこで1年修業して、開発のほうにいったという流れです。ゲームがどうやってできるのかもわからず、制作の知識も何もない中で飛び込みました。「自分の趣味を活かせるのはずっとやっていた野球だけど、うちって長らく『ファミスタ』出てないよなあ」と思っていたところ、たまたま2014年に『ファミスタ』を復活させようという流れがあり、「じゃあ僕がやりたいです」と手を上げたんですね。それで2015年に『プロ野球 ファミスタリターンズ』(以下『ファミスタリターンズ』)を世に送り出すことになりました。

――やはり、幼いころプレイされていた『ファミスタ』とつながったという感動はありましたか?

森口:そうですね。なんか、「ああ、帰ってきたなあ」という(笑)。

岸本:まさに、本人としてもリターンズだったわけだね(笑)。

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん

――『ファミスタ』は新作が出るたびに新しいフィーチャーを盛り込んで進化していきましたが、次に何を入れたらいいかという部分が、本当に大変だろうと察します。

森口:めちゃめちゃ大変です(笑)。ゲームの伸びしろはまだまだあると思うんです。他社さんの野球ゲームを見ても、『ファミスタ』にない要素や見せ方はいろいろありますから。新しい機能を追加するという選択肢はあるんですが、どれが正解なのかが本当に想像しづらい。前述したように、40代には正解だけど子どもたちには正解ではなかったり。でも子ども向けに簡単にしすぎると40代には物足りなくなる。どちらを採るかは毎回悩みどころでしたね。現在は若干吹っ切れたところはありまして、40代と小学生でしたら、小学生寄りのほうに若干舵を切ろうと考えています。現在制作中の新作『プロ野球 ファミスタ2020』(以下『ファミスタ2020』)(2020年発売予定)は、そのために必要な機能やグラフィックなどを考えて固めていき、2020年に出る野球ゲームとして一般的に見て見劣りしないものを作ろうと思っています。

――そうやっていろいろと試行錯誤して考えた中で、森口さんが担当された『ファミスタ』で導入した要素が、ファミスタクエストだったり、マイ選手育成だったり……。

森口:そうですね。ナムコの昔のタイトルって、遊び心というか、おふざけ要素がおもしろい。『プロテニス ワールドコート』(1988年)で、テニスゲームなのにRPGモードが入っていたり。それが僕のおもしろさの基準の1つになっています。

――独立リーグ、女子プロ野球選手、女子ソフトボールリーグ選抜選手などを入れたのも、画期的に思えます。

森口:僕が実際に野球をやっていて、野球はプロ野球だけじゃないよなと思っていた部分もありまして……。ちょっと不安だったんですけど、ソフトボールの下手投げを『ファミスタ』のシステムに入れてみたところ、けっこうしっくりくるんですね。『ファミスタ』って球はグネグネ曲がるんで、女子が投げて球が遅くてもテクニックでかわすことができますし。

――ご当地のお気に入りの球団や選手を使って、自分の腕で日本一に導くというのはモチベーションが上がりますよね。

森口:うまく『ファミスタ』の楽しさの味付けを変えていくべく努力しています。ただ、スープごと変えないようにしています。

――シミュレートということにこだわるよりも、やはりゲームとして楽しいという部分を引き継ごうとしていらっしゃる?

森口:そうですね。先ほどパラメーターが昔に比べて増えたという話をしましたけど、例えば初球から振ることが多いプロ野球選手がいたときに、ゲーム内でも同じ動きをするようなAIの項目を入れています。コンピューターのチームと戦ったときにそれが色濃く出ます。『ファミスタ』って相手が極端に弱すぎたり強すぎたりしなければ対戦は無条件で楽しいんですよね。でも1人で遊ぶ方も多いので、1人プレイも楽しくないといけない。ほかにも打球の方向を調整してキャラづけしたりなど、そういった進化は絶対にアリだという自信を持って入れています。

――『ファミスタリターンズ』のとき、ピノのボイスアクターを落合福嗣さんが担当されましたが、こちらの経緯や狙いは……?

森口:「『ファミスタ』といえば何を連想しますか?」というアンケートをとったとき、1位はやはりピノだったんです。次点でぱっくとか、かせんじき球場とか。あのイチロー選手も、何かで「ピノみたいに足が速いよね」というコメントをしていたほどの知名度で……。そこで、どうピノを盛り上げていこうかと考えて、4年ぶりの新作なので、ピノは怠けていて太っちゃったことにしようと、めちゃめちゃ太らせたんですよ(笑)。

岸本:(爆笑)

森口:皆さんもぜひ公式ホームページを見てください。ぶくぶくに太ってしまったピノが見られますから(笑)。そこにミニゲームをおいて、みんなでピノを使ってホームランを打って、みんなで痩せさせようと。で、痩せさせた結果、そのピノが特典としてゲームで手に入るというキャンペーンをやったんです。そんなとき、ちょうどあの落合博満さんの息子・福嗣さんが声優デビューをしているという話を聞いて、声を聴いたらめちゃめちゃうまいんですよ。「これだ!」と。

――ちょうど渡りに船であったわけですね。そして落合福嗣さんを起用しプロモーションをしたことで、4年ぶりの新作の宣伝効果としてもうまくいったと。

森口:はい。そしてオンライン対戦もしっかり入れました。そうなると、友だちを家に呼ぶ手間も省けるし。実はオンライン対戦は前作から入っていたんですけど、今回改めて知った方もいて、それも売り上げにつながりました。前作が不遇だったのをバネに、うまく息を吹き返してくれたなというイメージです。

森口拓真さん
ゲーム画面がほとんど出てこない、昔の『ファミスタ』CMのおふざけノリもお気に入りだったという森口さん

ゲームが売れると同時にプロ野球も盛り上がってほしかった

――改めて岸本さんにお尋ねします。1986年に『ファミスタ』が誕生して34年経ちますけど、岸本さんにとって、『ファミスタ』とはどんな存在ですか?

岸本:「プロ野球への愛」じゃないかな。初期の『ファミスタ』のジャパンリーグでパ・リーグモデルのチームが連合になっているのって、「容量が足りなかったの?」って言われるけど、実はそうではない。選手データの大きさなんてたかが知れていますからね。パ・リーグがマイナーだったから、選手たちを知ってほしいという思いがあった。だけど、パ・リーグのチームを単体で入れてもあまり強くなかったし、知名度も低かったし、みんなセ・リーグの強いチームを使ってしまう。そこで、連合にして強いチームにしたら使ってくれるだろうと。

森口:なるほど……。

岸本:そうすると、選手名も覚えるしね。そして、プロ野球を知らない人が、テレビや球場で選手を見たときに、「ああ、あの選手ってホントにいるんだ」と思ってもらうのが狙いだった。アンケートハガキで、実際にそういうコメントをいただきましたしね。そこで選手を好きになって実際に応援してもらえるようになるとさらにいいなぁと。

――決してチーム数を省略したわけではなく、あえて1つのチームに凝縮することによってインパクトを押し出したわけですね。

岸本:そうそう。使ってもらえるように仕向けたというね。ゲームが売れるのも大事だけど、それによってプロ野球も盛り上がってほしかった。パ・リーグにもすごい選手がいっぱいいたのにテレビにも映らないから、もっと注目してほしいし、野球場に観に行ってほしいという思いもあった。だから「プロ野球への愛」だと思いますね。パ・リーグの中継なんてまったくなかったからね。

岸本好弘さん

――朝のニュース番組のスポーツコーナーのダイジェストくらいしか、落合選手を目にする機会がなかったり……。

岸本:パ・リーグは結果だけしか知らせてくれなかったりね(笑)。そういう時代だったので、パ・リーグ人気には少し貢献したかなと。でも『ファミスタ』って、私が作ったんじゃない。野球の神様が私に作らせてくれたんですよ。本当にそう思っていますから。

――深いですね。では最後に森口さんに、2020年登場予定のシリーズ最新作『ファミスタ2020』の内容について、具体的にお伺いできたらと思います。

森口:新作『ファミスタ2020』には、いろんな仕掛けを入れています。選手に関しては、東京六大学野球選抜もいれば、女子ソフトボールリーグ選抜もいれば、人気野球動画クリエイターもいれば……。

――人気野球動画クリエイター……!?

森口:子ども向けの施策なんですけど、草野球に特化した「トクサンTV」というチャンネルを配信されているトクサンという方とコラボして、ゲーム内のストーリーモードに出ていただいたりなどの試みをしています。だから新作では草野球チームも出るんですよ。あと一番の推しとしては、グラフィックにも力を入れた点ですね。『ファミスタ』の良さである可愛らしくデフォルメされたキャラクターの形は崩さずに、グラフィック面が今回めちゃめちゃ綺麗になっています。

岸本:なるほど。

森口:球場も実寸サイズの3Dモデルの球場を作りましたし、相当の自信を持ってお届けします。僕の願いは、「野球への目覚めを子どもたちに感じてもらいたい」というのが一番。「1人でも遊べるし、友だち呼んでみんなともできる。野球って楽しいな」と思ってもらえる、野球ゲームの入門編にしたいと考えています。だから4人で遊べるミニゲームが5つくらい入っているし、もちろんオンラインでも遊べます。あとは、RPGモードを専用3Dマップで作っていたり……。

岸本:(爆笑)

森口:『ファミスタ64』(1997年)で出てきたメタル星人という野球大好き宇宙人が、ナムコスターズの村に攻めてきて、「我々に勝たないと地球を滅ぼすよ」というところから始まるRPGなんですね。それにナムコスターズが立ち向かうという、10時間ぐらい遊べるストーリーモードを作っています。ナムコスターズは15人ぐらいいて、キャラクターボイスも収録しています。ピノはもちろん落合福嗣さんで、主人公パックは古谷徹さんにやっていただきました。

――おお……!

森口:みなさんの声もハマっていて、楽しいものをお届けできそうです。モモ(ワンダーモモ)は、広島東洋カープ前監督・緒方孝市さんの長女・緒方佑奈さんが声優デビューしているので起用させていただきました。もう、いろんな方向から野球に興味を持っていただきたいなと(笑)。

――豪華ですね。先ほど、野球への目覚め・入門編と仰いましたけど、まさに森口さんの、少年時代に『ファミスタ』に触れた原体験と同じように、小さい子どもたちにも入ってきてほしいという思いがあるわけですね。

森口:僕は高校まで野球をプレイしていましたけど、『ファミスタ』で遊んでいなかったら野球をやっていたかどうかもわかりません。『ファミスタ』をプレイして感じた「野球って楽しいな」という部分は、僕が作る側に回っても提供し続けるべきものだと思っています。もちろんその中で、過去のシリーズへのリスペクトは忘れずに作っていきたいですね。こういう歴史あるタイトルを生み出していただいた先輩たちには大変感謝しております。

森口拓真さん(左)と岸本好弘さん

取材/鴫原盛之
元ゲームセンター店長&ゲームメーカー営業の経験を持つフリーライター。日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIGの代表も務める。https://twitter.com/m_shigihara

文/忍者増田
フリーライター。元ゲーム雑誌編集者。忍者装束を着て誌面やWeb上に登場することも多い忍者マニア。https://twitter.com/Ninja_Masuda

協力:ゲーム文化保存研究所(IGCC.JP)
https://igcc.jp/