バンダイナムコ知新 第6回 アーケード版『アイドルマスター』誕生秘話【中編】 小山順一朗氏、石原章弘氏、梅木馨氏、深見和佳子氏、三枝芳宏氏、白井崇文氏、坂上陽三氏インタビュー

アイドルゲームというジャンルを開拓し、2020年に15周年を迎えた『アイドルマスター』。 今回は15年前に生まれたアーケード版『アイドルマスター』に携わった7人のクリエイターを迎えた座談会の「中編」をお届けします。「前編」ではゲームのスタイルを模索していた頃の制作秘話をお伺いしましたが、今回はある程度、形になった『アイマス』のお披露目――ロケテストでの苦労話を中心にお話いただきました。

第6回 アーケード版『アイドルマスター』誕生秘話 中編

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小山順一朗

アーケード版『アイドルマスター』プロデューサー。『アイドルマスター』 の生みの親。現在、バンダイナムコアミューズメント プロダクトビジネスカンパニー クリエイティブフェロー。

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石原章弘

『アイドルマスター』の企画の発案者。アーケード版『アイドルマスター』ディレクター。長らく『アイドルマスター』シリーズ総合ディレクターを務めた。現在は株式会社グッドスマイルカンパニー所属。

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梅木馨

『アイドルマスター』の関連商品展開、楽曲の権利調整、興行イベント関連を担当。現在、バンダイナムコエンターテインメント 第2IP事業ディビジョン 第1プロダクション 2課 マネージャー。

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深見和佳子

初期から『アイドルマスター』の企画・ディレクションを担当。小鳥さんデザインの発案者。現在、バンダイナムコスタジオ 第3スタジオ 第7プロダクション コンテンツ(企画)パート ゲームデザイナー。

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三枝芳宏

筺体、ロゴ、衣装、グッズなど、『アイドルマスター』関連の様々なデザインを担当。現在バンダイアミューズメントラボ 開発本部 メカトロ部 デザイン課。

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白井崇文

『アイドルマスター』の筺体の電気設計を担当しつつ、ユーザーとの交流面でも貢献。現在、バンダイナムコアミューズメントラボ 開発本部 メカトロ部 メカトロ2課。

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坂上陽三

『アイドルマスター』シリーズ総合プロデューサー。『アイドルマスター』の育ての親。現在、バンダイナムコエンターテインメント 第2IP事業ディビジョン第1プロダクション エキスパート。

ギャルゲーの文脈でキャラクターをデザイン

――『アイドルマスター』(以下『アイマス』)に夢中になってもらうためには、魅力的なアイドルたちが不可欠だったと思います。

石原:(天海)春香が一番最初に生まれたキャラクターです。次に千早が生まれて、雪歩、真というように徐々にキャラクターを増やしていって開発前の叩きの段階では12キャラクターになっていました。

三枝:初期の企画書には、今と名前が違う人たちもいますけど(萩原雪歩が「萩原恵」となっていた)。

――そもそも、アイドルのデザインをなぜ窪岡俊之先生にお願いしたのでしょうか?

石原:アーケード用マシンの企画ということもあり、PCゲームタッチではなくアニメっぽいタッチの方が受けいれられやすいかなと。

小山:それでアニメ会社に行きましたもんね。ゲーム内の映像を全てセル画でやろうとしました。でも、金銭面で合意できなかった。

石原:だから、「3Dでいくしかない」ってなって、家庭用ゲームの『ゆめりあ』(※1)(2003年)チームに聞きに行ったけど、こっちがアーケードゲームのチームだから、なかなか話を聞いてくれない(笑)。

※1 『ゆめりあ』
ナムコ(当時)が2003年に発売した、プレイステーション2用の恋愛アドベンチャーゲーム。登場キャラクターがポリゴンで表現されていた。

梅木:そのときに、石原さんが3候補ぐらいイラストレーターを挙げていて、その中に窪岡さんのお名前もあって。そうしたら『ゆめりあ』チームの中に、「出版社に知り合いがいて、窪岡先生を紹介できる」と言う人がいて……。

石原:線が省略化されているのに、ちゃんと個性が出せる……というのが希望条件でした。ポリゴンでもアニメでも線が多い絵は動かしにくい。窪岡さんは、立ちポーズでもキャラクターらしさが出せる方なので理想でした。

――ゲームの企画的なアイドルの割り振りがあって、個性も出さなきゃいけない。そのへんのバランスってどうだったんでしょうか? 

小山:アイドルものを作ると言っても、アイドルがどんな生活しているのかも全然わからない。

石原:アイドルものというよりは、最初はギャルゲーものの文脈で作ってました。メガネっ子は1人は入れるみたいな。

深見:ありましたね。「ボーイッシュな子は1人いますよね」とか。

小山:そうそう、これ決めているのって別にアイドル的な要素で決めていないもんね。ギャルゲー文脈だよね。

――アーケードでギャルゲー文脈でネットワークも実装というのはやはりすごいですね。

小山:そうそう! ネットワーク対戦ゲームとしても『アイマス』が最初期のタイトルなんです。『鉄拳』よりも最初にネットワーク対戦を前提に動いていたんですよ。

深見:ネットワーク、ネットワーク言ってたから『THE IDOLM@STER』のAの部分が@になったみたいなところがあるよね。

――携帯電話とリンクさせることで、アイドルからメールが届く「メール☆プリーズ」というのも画期的なシステムだったと思います。

小山:あのシステムも、法務とすごい議論した思い出がある。アイドルからメールが来て、指定日時に実際のゲームセンターに呼び出されるシステムなんですけど、例えば「小学生を夜の20時に呼び出すのはいかがなものか」みたいな。今までに前例がないことをできるようにするには?という部分でずいぶんと戦いましたね。

白井:アイドルからメールが来るようになったのは、3回目のロケテストからじゃなかったかな?あのときのメールタイトルや本文のままだと、今はスパムメールって言われちゃう可能性があるらしい。

小山:当時、メール書いているのは女性社員だったんです。深見さんも書いた。

深見:あと、アイドルの直筆とかもかなり内製が多くて……。アイドルのサイン自体は声優さんなんですけど、直筆の字は……、例えば、亜美真美の字はナムコ(当時)の課長の娘さんに書いてもらってました。

一同:(笑)

石原:とにかく社員やら社員の家族やら、10代くらいの女の子にいっぱい字を書いてもらって、オーディションしていました。

深見:リアルな子どもに書いてもらってたら、リアルに育っちゃって……「もう高校生になったので、あんな(亜美真美の)字は書けない」って。

石原:リリースから数年後には「そろそろ書けなくなってきたから、もうこの仕事辞めさせてください」って訴えがありました。その節は大変お世話になりました。

一同:(爆笑)

ロケテストの行列にビックリ仰天

――怒涛の開発を経て、ついに2004年、第一回ロケテストが「プラボ中野店(現namco中野店)」で行われるわけですが……ロケテストのときのお話をお聞かせください。

石原:ロケテスト前は「これがダメなら今度こそダメだな」って空気で、ずっと悲壮感が漂ってました(笑)。

小山:2002年のAMショー(アーケードゲーム機の展示会)で、最初に『(仮称)アイドルゲーム』出したときからロケテストまでの間って……。

深見:2年ぐらい空いています。

白井:ロケテスト前のAMショーのときはキラキラが入ったはがきを作って配り、「これをロケテストに持ってきた人に粗品あげます」って。それぐらい必死に集客してましたね。

小山:まずAMショーで「ロケテストやりますよ」って告知して、最初のロケテストは「プラボ中野店 現namco中野店 」の店舗オープンと同時だったんだよね。場所も初めてだし、「本当に人なんて来るのか?」みたいな感じでした。

白井:そして、開店前の行列を見て、「えっ、こんなに人来てくれているの?」っていう。

石原:「いやいや、あれは別のゲーム行列じゃないの?」みたいにみんな半信半疑(笑)。

『アイマス』聖地の1つ、namco中野店に飾られている765プロのアイドルたちのフィギュア

小山:その後、池袋のロケテストではとんでもなくすごい行列ができていて、あれには圧倒されました。実際に400分待ちになったし。

深見:そこではあったかいペットボトルのお茶を配ったりしていましたよね。寒かったから。

石原:ロケテストの反応も良くて、受注も好評だったんですが、「これ売れすぎたら価値がなくなるから、あんまり売れないほうがいい」って小山さんがずっと言っていたんですよ。「200~250台限定で売らないと、これは崩壊する」って。だけど結局、当時の経営層は「ご注文いただいた分は売ってしまおう」と。

梅木:600でしたっけ?

石原:あのときいっぱい売っちゃって、相木伸一郎さん(※2)に「石原君、よかったね。めちゃめちゃ売れて」とか言われたけど、僕は大丈夫かな……と思っていて(笑)。

※2 相木伸一郎氏
1994年ナムコ(当時)入社。アーケード、コンシューマー、モバイルなど様々なプラットフォームでゲームを制作。『ドラゴンクロニクル』のプロデューサーを務めた。現在、バンダイナムコアミューズメント執行役員。

梅木:ロケテストの結果は良かったけど、需要を上回る供給で結局……。

namco中野店に保存されている「プロデューサー報告書」。
訪れたプロデューサーたちの交流ノート

小山:ターゲットが絞られるゲームで、まだキャラクターコンテンツが一般化する前の時代だから、筐体数を絞って仲間が集まる環境作りをしなければいけなかったんだけど、筐体が数多く売れてしまったから分散してしまって……。

石原:『アイマス』は市民権を得るまでめちゃめちゃ時間かかったんで、苦労の思い出がすごくあります。ほぼ苦労の思い出です。

小山:筐体は数が売れたけど、結局仲間が増えづらい地方のゲームセンターのインカム(ゲームセンターにおける売上)は苦戦して、当時そもそもアーケードにはプロモーションという概念もなくて、会社にもそういうノウハウはない。だから、自分たちで何とか工夫してやるしかなかった。

石原:生きるか死ぬかみたいな必死感がすごかったです(笑)。

小山:だから積極的にお客さんの前に出ていった。

白井:ロケテストに来てくれたお客さんに対して「音ゲーなので、音に合わせてこうやるといいんですよ」とか、すごいレクチャーして(笑)。

小山:服もあれ、わざわざ最初に作りましたよね。

深見:そうですね。スタッフジャンパーを全員着て。しかも、自分たちでお金出して。

一同:(爆笑)

石原:5000~6000円払った記憶あります。

三枝:デザインしたもん、俺(笑)。

深見:デザイン費もタダだったんですが、優秀なデザイナーが名乗りをあげてくれて……。

三枝:何でも屋だからね(笑)。

アーケード版『アイマス』開発チームのスタッフジャンパー。
タイトルロゴと「PROJECT-V300」がまぶしい。声優さんたちのサイン入り

白井:ほかにもロケテストに来ていただいたお客さんの多くがデジカメを持ってきていたので、我々の方からお客さんに「ガンガン写真撮ってブログにどんどん載せてください、伝えてください」ってお願いしていたんですよ。ゲームセンターで写真を、ましてやロケテストのゲーム画面を撮るのは良くないという風潮があったのにも関わらず。自由だったね。

石原:今では当たり前のSNSプロモーション的思考が、『アイマス』にはわりと頭からありました。「みんなも拡散手伝ってくれ」と。本当にお客さんを巻き込まないと生きていけないっていうスタンスでやっていて、結果うまくいったということなんですけど。

深見:必要に迫られてやったのが、っていうのはありますね。

三枝:いや、でもおもしろかったな、いろんなことが挑戦的でしたね、あのころ。

小山:『アイマス』の話をすると、苦労の話しか出てこないね(笑)。

石原:でも、楽しかったですよ。

小山:楽しいよね。

石原:楽しい苦労です。

深見:うん。全部をひとつひとつ、自分たちで工夫しながら作っていったから。

白井:確か、『アイマス』って、東京ゲームショウにも出展しましたよね。

小山:出したわ。忘れてた。

石原:時期的にXbox 360版が出ることが決まっていたので、「ちょっとユーザーの反応を見てみたい」って言われて出すことになりましたが、会場設営の代理店の人が『アイマス』が好きで看板も作ってくれて。その看板は譲り受けてイベントでずっと使っていました。「これで看板を作るお金がいらない」って言って。

一同:(笑)

2006年、稼働1周年記念の新木場・スタジオコーストで行われたライブ(初の765プロアイドルが全員登壇)のTシャツと、小鳥さんが初めてライブに登場した2007年のオフィシャルスタッフTシャツ

深見:苦労しながらでも、みんな熱心にやっていたんだから、よっぽど『アイマス』が好きだったんですよね。

石原:デバッガーの人もすごく好きになってくれました。デバッグ終わってもみんなで個人的に遊んでるって教えてくれて。

小山:デバッガーはそういうこと普通はしないもんね。

石原:そのおかげでデバッガーがバグ確認だけじゃなくて、「こうしたほうがいい」という積極的な意見をたくさん出してくれました。「自分がデバッグやってきたゲームの中でも、これは何かを感じるから」って言って、すごく協力してくれた。本当に助かりました。

小山:本当にボトムアップでできた企画ですよね。

©窪岡俊之 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

※取材は3月上旬時点の内容です。

【取材後記】
ゲームセンターにお客さんを呼び戻すためにスタートした『アイマス』の開発。度重なる苦難を乗り越え、ようやくロケテストが行われました。
期待と不安の交錯する中、たくさんのプレイヤーの皆さんから反応をいただき、開発スタッフは強く勇気づけられたそうです。しかし、これで終わりではありません。
次回の更新は【9月10日(木)】! 苦労した分だけ人一倍『アイマス』に愛情を持つようになったスタッフが、さらなる完成度の高さを求め、新たなビジネスモデルにたどり着くお話をしていただきます。
どうぞ、お楽しみに!

取材/佐伯憲司
フリーライター。ゲーム雑誌やニュースサイトなどに関わり、現在フリー。『アイマス』は『(仮称)アイドルゲーム』から。赤羽会館のライブの前に雪の中、公園でコールの練習をしていたPの皆様の姿が印象に残っているとか。

文/忍者増田
フリーライター。元ゲーム雑誌編集者。忍者装束を着て誌面やWeb上に登場することも多い忍者マニア。https://twitter.com/Ninja_Masuda

協力:ゲーム文化保存研究所(IGCC.JP)
https://igcc.jp/