バンダイナムコ知新 「第3回 太鼓の達人誕生秘話 現在に至るまで 前編」 中館賢氏、笹岡武仁氏、市川秀久氏、矢野享氏インタビュー

バンダイナムコの過去から現代につながるルーツを辿る連載企画「バンダイナムコ知新」。今回のテーマは『太鼓の達人』です。業務用『太鼓の達人』稼働初期において、制作に携わった4人のメンバーによる座談会をお届けします。決して諦めなかった開発者の努力から、業務用『太鼓の達人』が新しい音楽ゲームとして圧倒的認知度を獲得するまでに至った軌跡をご覧ください。

第3回 『太鼓の達人』誕生秘話 現在に至るまで(前編)

中館賢
『太鼓の達人』初代ディレクター、のちにシリーズ総合プロデューサーを担当。現在、バンダイナムコアミューズメント プロダクトビジネスカンパニー プロデュースディビジョン オペレーション部 運営課 アシスタントマネージャー。

笹岡武仁
『太鼓の達人』シリーズの元ビジュアルアートディレクター、のちに開発プロデューサーを担当。現在、バンダイナムコアミューズメントラボ 開発本部 企画部 企画2課 係長。

市川秀久
初代『太鼓の達人』発売当初、機器販売を担当。同時に、販売サイドと開発の情報交換窓口を担当。現在、バンダイナムコアミューズメント プロダクトビジネスカンパニー プロデュースディビジョン マネジネント部 ゼネラルマネージャー。

矢野享
『太鼓の達人』シリーズの筺体デザインを担当。現在、バンダイナムコスタジオ NE統括本部 NE運営設計本部 NE戦略部。

開発サイドの確信と営業サイドの見解との大きな温度差

――2001年2月に、業務用『太鼓の達人 ※1』が稼働となりました。当時のナムコが、音楽ゲームというジャンルに取り組んだ背景についてお聞かせください。

※1 『太鼓の達人』
2001年にナムコにより開発された、和太鼓をモチーフにした業務用音楽ゲーム。
以降、業務用・家庭用問わずさまざまなプラットフォームで続編が発売され、幅広い年齢層にプレイされ続けているロングセラー。

中館:当時はコナミさんがすでに、『beatmania ※2』(1997年)や『DanceDanceRevolution ※3』(1998年)を発売し、音楽ゲーム(以下、音ゲー)というアーケードのジャンルを確立していた時代でした。僕がいた部署でも、音ゲーで何かやらないといけないという気運があり、「誰もが知っている和太鼓ならイケるんじゃないか」と現場で盛り上がりまして、上に提案して作ることになったんです。

※2 『beatmania』
1997年にコナミにより開発された音楽ゲーム。プレイヤーはクラブのDJとなり、ターンテーブル型コントローラーのボタン用いて楽曲を演奏する。

※3 『DanceDanceRevolution』
1998年にコナミにより開発された音楽ゲーム。プレイヤーは、楽曲に合わせて画面に流れる矢印を、足元のフットパネルで踏んでいく。

笹岡:「和太鼓でイケる」とは言ったけど、当時の開発メンバーには誰も和太鼓を叩いたことのある者がいなかったんです(笑)。適当にその辺にあるものを叩きながら、「これ楽しいんじゃない?」みたいな単純な発想でした。

――バケツをひっくり返して叩いていたという話も伺いました(笑)。

中館:太鼓のゲームを作るからには、和太鼓をちゃんと研究しようと思ったんですけどお金がない(笑)。和太鼓を買うと何十万もするんですよね。ネットで調べたら、ポリバケツにガムテープを貼って、それを太鼓の面に見立てて叩いて練習している人たちがいることを知りました。じゃあ我々も作ってみようと近所でポリバケツを買って、手作りの即席太鼓をみんなで叩いて、「ああ、こういう感触なんだ」と(笑)。

笹岡:けっこういい音するんですよ(笑)。

――音ゲーのモチーフとして和太鼓を選んだ理由は、叩いて楽しそうだったからということでしょうか?

中館:はい。あとは見た目のインパクトというのも大きなポイントですね。それに、和太鼓って日本人なら子供のころからお祭りなどで見ていても、実際に叩いたことのある人はあまりいない。誰もが知っているけど叩いたことがないものがゲームセンター(以下、ゲーセン)にドーンと置いてあったら、人の目を引き付けるだろうと。

笹岡:今でこそ『太鼓の達人』がゲーセンにあるのは当たり前ですけど、当時はとても異色な光景でした(笑)。「なんだこれは?」みたいな。

――最初は企画がすんなり通らなかったという話も聞きました。

中館:僕や笹岡など現場はとても盛り上がっていて、「絶対おもしろくなるね」と思ってプレゼンしたんです。開発の部内では、ある程度話は通っていたんですけど、販売サイドと話す段階になると、なかなか反応が良くなくて(笑)。

市川:その部分は販売サイドの僕から説明させていただきます(笑)。当時、開発は「生みの親」、直営店の営業担当や外部への販売担当は「育ての親」という役割でした。中村雅哉社長(当時 ※4)から「両者協力して製品作りをしなさい」という指示があって、その頃は開発の段階で営業や販売の声がけっこう反映されていたんです。そしてもう1つ、『太鼓の達人』の制作前に、社内で「コナミさんの音ゲーの牙城を切り崩すぞ」みたいな流れがあって、「うちはまずギターだ」と息巻いたら、業務用ギターゲームの企画が4本重なった。内部ではギター4兄弟( ※5)と言っていたんですけど(笑)、この4作品の売り上げが良くなかったんです。それで「うちは音ゲー無理だよ」という雰囲気が蔓延していた時期だった。だから、開発には最初から逆風が吹いていたことは間違いないです。ただ、「和太鼓というモチーフはどうですか?」と言われると、僕は「悪くないな」とは思っていました。

※4 中村雅哉社長
1925年生まれ。1955年、有限会社中村製作所を創業。1971年、社名変更に先だってNAMCOブランドを使用開始、1977年に社名をナムコへ改める。2017年死去。享年91歳。

※5 ギター4兄弟
ナムコが開発した、『ギタージャム』『クエスト フォー フェイム』『ウンジャマ・ラミー NOW!!』『ミリオンヒッツ』の業務用ギターゲーム4種のこと。4作とも1999年に稼働。

中館:我々開発側も、それまでの音ゲーとは違ったポジションの作品として、和太鼓というモチーフを考えていましたね。

市川:こちらとしては、音ゲーは相当売りにくいカテゴリーになってしまっていたので、「やめたほうがいいんじゃないかな」というのが、部署としての正直な印象でしたね(笑)。セールスマンとしては、やはり昔も今も売りやすいものを売りたがる習性があるので、状況が悪いと、「そのジャンルはやめてくれ」という思考にどうしてもなってしまう。

――市川さんとしては、最初は複雑な気持ちで眺めていたということですね。

市川:そうですね。でも、僕はその後に開発も経験しているので、基本的にはセールスマンの言うことを鵜呑みにしてはいかんと思っているんです(笑)。でも、その当時は販売サイドとして、そう言わざるを得なかったという部分がありますね。

中館:議事録も残っていますよ(笑)。販売チーム曰く、「音楽ゲームの枠で捉えると過去の実績から販売面でのハードルが高いです」「本企画については従来の楽器シミュレーションの範疇で考えられる新鮮味が薄いと思います」(……と、当時の議事録を読み上げる)。

市川:まさにそう考えていました(笑)。

中館:それに対して開発側は、「この企画は“太鼓”自体の魅力や間口の広さの点で、従来の音ゲーとは差別化が図れると考えています」と申しておりました(笑)。

――当時の議事録がきちんと残っているのがナムコさんらしい気がします(笑)。

ついに商品化が決定! 勝手に「達人シリーズ」に組み込まれる?

――そのような逆風の中で、『太鼓の達人』の企画が通った経緯は……?

中館:実際にロケーションテスト(以下、ロケテスト ※6)をやってみないと分からないよね、という話になりまして。ロケテストをやった結果、お客さんもたくさん並んで、すごい売り上げを叩き出しました。でも、それだけでは通らなかったんですよ。2回目のロケテストでも良い結果が出て、それでようやく商品化が決まった……という感じでしたね。

※6 ロケーションテスト
アーケードゲームを世に出す前に、ゲームセンターなどで行われるテスト。ゲームバランスの調整や市場調査などの意味合いを持つ。

――ナムコでは当時、出たゲームを社長にプレイしてもらう「社長発表」というものがあると伺いました。『太鼓の達人』も、中村社長(当時、以下略)はプレイされたのでしょうか?

中館:僕たちのとき、中村社長はすでにお歳を召していて、ビデオゲームはもうそんなに興味を持たれていないという噂を聞いていたんです。でも『太鼓の達人』に関しては、我々の説明を最後まで聞かずにご自分から筺体に近づいていき(笑)、「これはいいねぇ」と遊んでくれました。

矢野:中村社長は、興味を惹かれたものに対してはすごく正直で、ほかの作品を見ていても、気になった作品のほうにスーッと寄って行っちゃうんですよ(笑)。で、中村社長の目に留まった作品は大抵ヒットするという。

市川:目利きなんですよね。

中館:『太鼓の達人』という名前も、最終的には中村社長が決めたんです。我々もいろいろ案は出していたんですけど、「あ、『太鼓の達人』に決まっちゃった」と(笑)。

――中館さん的には、違う名前にしたかったんですか?

中館:キャラクターを押し出したかったので、「どんちゃん(※7)」という名前が入ったタイトルを考えていました。けれど、確か一発目でそれが通らなくて、「達人」という言葉を入れろという指示がどこかから来て、そちらが採用されてしまったという。

※7 どんちゃん
『太鼓の達人』シリーズの主人公「和田どん」のこと。赤い顔に水色の胴体を持ち、ゲーム中では主に1Pが操作。「和田かつ(かっちゃん)」と呼ばれる双子の弟もいて、こちらは水色の顔に赤い胴体を持ち、ゲーム中では主に2Pが操作する。

バンダイナムコ広報:ちなみに、当時『料理の達人 ※8』(2000年)というタイトルがすでにあったんです。そして『太鼓の達人』も「達人ゲームシリーズ」だと、いきなり言い出したんです(笑)。

※8 『料理の達人』
2000年にナムコから発売されたプライズマシン(景品獲得ゲーム)。中華鍋で食材を炒める要領で、食材に見立てたボールを鍋内のセンサーリングに規定の回数通すと景品が獲得できる。「達人ゲーム」シリーズ第1弾。

中館:作り始めたころは達人ゲームのシリーズになるとは思っていなかったです(笑)。

――いつの間にか達人ゲームシリーズに組み入れられたと(笑)。

市川:当時、タイトル名の最終決定の決裁者は中村社長でしたからね(笑)。

――ほかに制作時の忘れられない思い出はありますか?

中館:太鼓部屋に押し込められた話とか(笑)。開発中にいろいろと試しているわけですけど、こんなに叩いて音を出すゲームなんて今までなかったんですよ。で、『太鼓の達人』専用の小部屋が社内に作られました(笑)。

笹岡:各署からクレームが出ちゃいまして(笑)。

矢野:下のフロアからクレームが来ていたね。

笹岡:そうそう、下に響くということで。隅のほうの狭~い部屋に、6人ぐらいのスタッフが押し込められて開発していましたね(笑)、当初は。

強度と精度を両立し、叩き心地まで考えられた筺体設計

――筺体デザインでの工夫や、苦労された点をお聞かせいただけますか。

矢野:僕は初期の筺体デザインはしていなくて、いよいよモノを作ろうというタイミングから入ったんですけど、本当に太鼓を作るのが大変で。それを見た誰もに「和太鼓を叩きたい」と思わせるのがコンセプトだったんで、いかに太鼓のボリューム感を出すかというところはすごく難しかった。かつ、バチで太鼓が叩かれるじゃないですか。アーケードゲームって普通にプレイしていても部品が壊れちゃう世界なんで、そこにバチなんてものが入ったら、もう「壊してくれ」と言っているようなもんだなと(笑)。だから、筺体のどこをバチで叩いても壊れないようにすることに腐心しましたね。

――そうして頑丈に作る必要がありながらも、反応の精度も求められますよね。

矢野:はい。電気設計・機械設計の人間がセンサー部分を作っているんですけど、精度に関しては相当苦労していましたね。だけど、それを全部デザイン的に太鼓で隠さなきゃいけない。それが本当に難しかった。面(太鼓の叩く部分)はゴムっぽい樹脂でできていますが、バチで叩くとどんどん削られていってしまう。叩き心地を良くすると削られちゃうし、硬くすると叩き心地が悪くなる。すごく絶妙な配合で作っています。

――デザインに気を配り、強度と精度を両立させ、叩き心地まで考えて制作し、現在の筺体が出来上がったのですね。ちなみに、『太鼓の達人』の題字の数字の部分は矢野さんが書かれたと伺いました。

矢野:はい。いかに毛筆風にレタッチするかということで、筆で書いたものをベースにして、フォントとして起こしていました。自分は書道を少しやっていたので、その感覚を生かして毛筆風の文字に起こしていきました。『太鼓の達人』は『14』までありまして、『10』ぐらいまで僕が数字を書いていました。で、誰かに任せるとちょっと違うみたいで、僕にまた依頼が戻ってきたり(笑)。

市川:その話は知らなかったなあ。(各タイトルの題字の資料を見ながら)『3』は毛筆に見えないですね。このときは調子が悪かったんですか?(笑)

一同:(爆笑)

矢野:そういえば、僕がグラフィックも含めて全面的にかかわったのは『3』からなんですよね。どなたが見ても「変わった」と思ってもらえるように、四角い筺体を丸く見せるため、虹のPOPで囲って丸くしたり。そこから、『太鼓の達人』シリーズには大きなPOPを全面に付けるようなルールができたんです。

中館:シリーズを重ねるごとに筺体が巨大化していますよ(笑)。

矢野:シリーズが続くと「変えなきゃいけない」という思いが出てくるし、『3』『4』『5』のころはすごい試行錯誤をしていたよね。

笹岡:そうですねえ。

矢野:だけど、やっぱり基本的なゲームシステムは完成していたから、「みんなが望んでいるのは新曲だ」と、収録曲をいかにPOPでアピールしていくかという感じになったよね。

歴代の『太鼓の達人』シリーズのチラシ

『太鼓の達人』をプレイすれば平成の音楽史を網羅できる!?

――皆さんにお尋ねしますが、『太鼓の達人』で一番チャレンジングだった部分はどこだと考えていますか?

笹岡:やはり和太鼓というモチーフをゲーセンに持っていく、というのが一番チャレンジングだったと思います。そして、それまでの音ゲーにはかっこいいギラギラしたものが多かった中、小さなお子様でも安心して遊んでもらえるようにと、今のようなかわいらしいポップなビジュアルを使うのもわりと勇気がいりました(笑)。そこはチャレンジングであり成功した部分でもある思います。

――販売サイドとしてはどのような部分がチャレンジングでしたか?

市川:初期ロットは販売で160台しか発注しなかったんです。相当弱気(笑)。だから販売サイドからすると、作ったこと自体がチャレンジングでしたね。でも、モノが出来上がって、ロケテストも終わって、数字も出た。素晴らしいです。

バンダイナムコ広報:この時代、こういった中型筺体はだいたい800~1,000台は作って販売していました。ですから、本当にすごく弱気だったということです(笑)。

――矢野さん的にはどうでしょうか?

矢野:中館くんもまだ入社2年目だったし、若い子たち――まぁ僕も今よりは若かったけど(笑)――すごい熱量でがんばっているというイメージでした。音ゲーが厳しいという状況下で、それでも開発陣は、自分たちが思った通りにものを作ってやろうというチャレンジ精神を持って進んでいた。ハードルが高い中、実現に向けて本当にがんばったと思います。我々筐体設計チームも後輩たちのそういう熱意にほだされ、新しい流れのゲームの誕生をなんとか実現したいとサポートしましたね。

中館:チャレンジングといえば、音楽もそうですね。誰でも知っているヒット曲……Jポップやアニメの曲を本格的に採り入れた音ゲーは、なかなかそれまでなかったと思います。チャレンジングかつこのゲームにおける必須要素だったと思います。

――確かに『太鼓の達人』といえば、既存の曲がたくさん入っているのが魅力の一つです。最初の収録曲は20曲ぐらいでしたが、今や700曲以上が収録されていますよね。

中館:音ゲーって、当時たくさん出ていたんですけど、ゲーム専用に作ったオリジナル曲で遊ぶというのがほとんどでした。我々は、普段ゲームをやらない方々の食指も動かすために、耳馴染みのあるヒット曲の収録は絶対に必要だと考えていたんですね。選曲も非常にこだわり、ジャンルもバランス良く、子供から大人までみんなが知っている曲をチョイスしました。

笹岡:中には趣味に走ったマニアックな曲もありますけど(笑)。

市川:ゲーセンを通りかかった人たちが、自分の知っている曲で楽しそうに遊んでいる姿を見るわけですから、著名な曲の収録が集客効果を高めていたのは間違いありません。

中館:当時、モーニング娘。がものすごく人気になってきた時期で、本作でも彼女たちの(7thシングル)『LOVEマシーン』(1999年)が一番人気でしたね。今日、資料を見返してみて、やはり時代時代のヒット曲が搭載されているなと再確認しました。この時代にこの曲あったなーと、改めて懐かしく思い出しましたね。『太鼓の達人』シリーズは平成の音楽史をわりと網羅している(笑)。

笹岡:やはり知っている曲じゃないと、音楽にノッて太鼓を叩くことはできないので。だから、収録曲はヒットチャートやカラオケのヒット曲からチョイスしたりしていました。最近は音楽に対する接触の仕方が変わってきているため、YouTubeでの再生数なども参考にしながら決めていますね。

中館:お客さんが求める曲は、ランキングデータを見ながら客観的に分析していく。でも、それだけだとありきたりの曲しか入らないことになるので、開発陣のセンスで選んだり、ちょっと先を予想してヒットしそうな曲も入れたりしていました。

矢野:なるべくリアルタイムで流行っている曲を入れたい。その上で版権交渉もあるから、収録曲はギリギリまで決まらない。毎回、過酷なスケジュールで筺体をデザインしていました。途中からはもう慣れて、そのつもりでやっていたけど(笑)。

中館:『太鼓の達人』は、今でこそ業務用も家庭用もオンラインなので、最新の曲をリアルタイムで入れられますけど、最初のころはオンライン機能はなかったので、曲を追加するにはロムを何カ月か置きに交換するしかなかった。そうすると締め切りとのせめぎ合いというか、なるべくギリギリまで待って新曲を入れたいということになるわけです。

――譜面制作について、曲を落とし込むときに注意された部分はどこでしょう?

笹岡:まず叩いて楽しくなることを念頭に置いて作っています。でも、ただ楽しいだけじゃなく、攻略性を持たせてプレイヤーの挑戦欲をかき立てないといけないので、アクションゲームのステージを作るようなイメージですね。楽しくピョンピョン跳び越えられるところもあればトラップもあったり、ここは何も考えずに連打させて気持ちよくさせようとか、ここは歌詞の入れ方が特徴的だから難しくしてちょっと驚いてもらおうとか、そんなことを考えながら作っています。

市川:プレイしながら調整しているということですか?

笹岡:そうですね。やはり曲を聴きながらイメージして、譜面を作っては叩いて、作っては叩いてのトライ&エラーの繰り返しです。あと、曲自体のターゲットには気を付けています。例えば、戦隊モノの曲なら小さいお子様向けに難易度を下げたり、ゲームに慣れた人が選びそうな尖った曲だったら少し難しめにしたりしています。

プレイヤーの幅広い年齢層に開発陣も驚嘆

――『太鼓の達人』を2人用プレイとした理由をお聞かせください。

中館:最初は本当に売れるかどうか分からなかったので、設計をシンプルにして材料費を安くしようという案もありました。となると、1人用の筺体にしたほうが作りやすいし売りやすい。でも、みんなでお祭り的に盛り上がれるという部分を大事にしたかったので、最終的に2人で遊べるというところにこだわって企画を出しました。昔の資料を見ると、1人用の筺体が3つ並んでいる図案などもありますけどね。

市川:シングル筺体をつないで2人プレイさせるという案もありましたよね。ただ、歴史的にナムコのヒット商品は、大抵2in1筺体なんです。

矢野:そのほうが、2人で遊んでもらうゲームだということが確実に分かりますから。オペレーターさんが様子を見るためにシングル筺体を1台だけ買ってみても、そもそもこのゲームのおもしろさが分からない。だったら2台くっつけようと。1台で2人分のインカムがあるので、1台あたりの売り上げもいいしね。

笹岡:あと、お客さんの立場から考えて、人前で体を動かしてプレイするゲームって、1人では恥ずかしくても2人なら恥ずかしくない。それに、わいわい盛り上がれます。だから2人用がベストかなと。

当時の貴重な図案。このようにシングル筺体をつなげてプレイするという案もあった。まだ、『和太鼓』という仮のタイトルが付けられている

――『太鼓の達人』は店頭に置かれることが多い希有なタイトルです。そのポジションはどのように取られたのでしょうか?

市川:もちろん我々も、店頭に置いてくれるようおすすめはしますけれど、だいたいどのお店も入り口に置いてくれましたね。

――では、基本的にお店側の判断でそうなることが多かったと?

市川:はい。あとは、うまい人がプレイすると人だかりができる現象があったので、必然的に店頭が定位置になっていったという感じです。

――『太鼓の達人』といえば、プレイヤーの幅広い年齢層にも驚かされます。

市川:コナミさんの音ゲーファンとは違った層がたくさんプレイしてくれたので、これは新しいカテゴリーができつつあるなと思いましたね。普段ゲームをしないような一般の方々がプレイしてくれていた。そういった客層の違いと力強さみたいなものは、最初から感じていました。

矢野:ロケテストで、おじいちゃんと孫とか、親子以上に離れている人が一緒にプレイしているのを見て、今までにはないゲームだということをみんなが確信しました。こんなタイトルにかかわれて本当に良かったと、その段階で思いましたね。

市川:当時、ショー(展示会)に出したときの感想を僕がまとめていたんですが、「高齢のオペレーターから評判が高かった」という意見がありました。その時点で、すでに客層の広いゲームとなる片鱗を見せていたという(笑)。

――これだけの客層の広さは、開発として最初から狙っていた部分だったのでしょうか?

中館:開発当初、冗談めかして「女子高生とか、おじいちゃんおばあちゃんにも遊んでもらえたらいいね」と言っていたんです。それで、世に出してみたら本当にその通りになったのには驚きましたね。その客層には、和太鼓というモチーフの力と、収録曲の幅広さも働いたのかと思います。

市川:中館さん的には、実際ここまで広く受け入れられるとは思っていなかった?

中館:最初は全然思っていなかったですね。キャラクターが出来上がってきたり、試作品を叩いてみたりして、おもしろいことがきちんと実感できたので、ある程度幅広い年齢層に遊んでもらえるだろうとは思っていました。でも、本当に確信したのは、ロケテストでお客さんがたくさん来て遊んでくれたときですね。

――『太鼓の達人』は、外しても減点されない、ミスが許されるゲームデザインになっています。そこは最初から意図して作られたんですか?

中館:はい。従来のゲームはミスが許されないものが多いのですが、それって楽しく遊びたい人からするとストレスだったり、「うまくやらなきゃいけない」という意識が先に来てしまう。『太鼓の達人』はそうでなく、うまくなくても、楽しく音楽にノッて叩ければそれでいい、というコンセプトで作っていました。だから評価の仕方も、上手に叩けていなくてもこき下ろしたりせず、大丈夫だよと。「もう1曲あそべるドン!」と。

市川:外してもいいよと言いつつ、パーフェクトを狙っている人にとっては痛恨の失敗になるわけじゃないですか。だから、非常にバランスが取れていると思いますね。

笹岡:珍しいですよね。カジュアルな人とコアな人の両方が集まる筺体というのは。

市川:初心者とエキスパートでは、まったく違うゲームに見えるもんね。

矢野:全員が良い点を目指しているということでもなく、音楽を楽しんでプレイしている方も多いですからね。

キャラクターの細かい設定は、開発陣の遊び心の積み重なり

――『太鼓の達人』には魅力的なキャラクターがたくさん登場します。最初からこのような、かわいいキャラクター路線でいこうと考えていたのでしょうか?

笹岡:お祭りのイメージということで、最初は、ふんどしを締めた熱い兄ちゃんをメインキャラクターにしようと考えていました(笑)。でもまぁ、実際にそんなシュールなキャラを出しても一般の方には受けないだろうと思ったので、コンセプトを見直して、今の「どんちゃん」のような老若男女に愛されそうなかわいいキャラクターでいくことになりました。

どんちゃんの影も形もないころの資料。この人間型キャラが主人公となる予定だった

――どんちゃんというキャラクターが生まれたきっかけは……?

笹岡:デザイナー仲間たちとの落書きから始まっています。プロジェクトに関係ないデザイナーが「太鼓星人」というキャラクターを考えて、「これどう?」みたいに持って来たところから「どんちゃん」が生まれました。おかげさまで今や、どんちゃんも皆さんに広く認知されるキャラクターとなりました(笑)。

――どんちゃんたちの居候先である和田家は、なぜ(大田区)糀谷(こうじや)にあるという設定なのでしょう?

笹岡:下町感というか、歩いていたら公園と駄菓子屋があるような、昭和をイメージさせるような雰囲気が、当時の糀谷にはあったんです。(僕は)現体験的に昭和の人間なので、『ドラえもん』のように、空き地にみんなが集まって遊んでいるようなイメージの町が、そういう世界観が実際にないかなと探して、お祭りともリンクさせて出た答えが糀谷でした。

――開発の方々の『太鼓の達人』のイメージに、糀谷がぴったりだったのですね。

中館:どんちゃんは糀谷に来る以前、北陸の太鼓工房で誕生したという設定もあります(笑)。

――そういった感じで、キャラクターそれぞれにすごく細かい設定があるのは、どのような理由からでしょうか?

笹岡:ゲームとはまったく関係ない部分ですが、キャラクターに性格を持たせて、横展開としてより広げられないかとずっと考えていました。なので、世界観は意図的に深くしようとしていますね。

――設定に少しずつ肉付けしていき、あの細かいキャラクター設定が出来上がったんでしょうか?

笹岡:そうですね。アーケードゲームではあまり語られていませんが、家庭用にはミニゲームや、オープニングやエンディングで流れるちょっとした映像などがあります。そのときにバックボーンとしてのストーリーがあったほうが作りやすいんです。今では、誰が誰に恋しているといった相関図みたいなものもあったりしますからね(笑)。

矢野:そういった意味では、本作のプロジェクトは、すごく心に余裕があったんだと思う(笑)。開発陣は、そういう遊び心のある話でいつも盛り上がっていました。普通、あんな和気あいあいとした制作環境はないもんね。本作のプロジェクトは、若い子が集まって楽しく世界観を膨らませていったイメージがあります。

中館:わりと自分たちでもおもしろがって設定していましたね。

――素敵な話ですね。あの細かい世界観は、業務用と家庭用を作り続けていく上で、皆さんの遊び心と愛が重なっていった集大成なのですね。ちなみに、『太鼓の達人』のプレイヤーを「ドンだー」と言いますが、どこから生まれた言葉なのでしょう?

中館:かつて「ワンダーページ」というナムコの公式サイトがありました。それをもじって「ドンだーページ」というタイトルの『太鼓の達人』公式サイトを作ったんです。たぶんそれが「ドンだー」という言葉が使われた最初かな。

――なるほど。もともとメーカーとしては、プレイヤーを指す言葉として使ったわけではないけど、プレイヤーの皆さんが「ドンだーページ」を知るようになって、『太鼓の達人』プレイヤーのことを「ドンだー」と呼ぶようになったと?

笹岡:そうですね。こちらから公式に「『太鼓の達人』プレイヤーを“ドンだー”と呼ぶ」というような発信はしていないんですよね。

市川:呼び方って、結果的にお客様のほうで決まることが多いんですよ。

何度も繰り返し遊びたくなるシステムを作った開発陣、天晴れ!

――親子で遊べる「パパママサポート」機能について、導入の経緯を教えてください。

中館:子供はプレイしてもなかなか良い点数が出ないこともあります。また親御さんは子供が遊んでいる姿を見ているのはいいんですけど、恥ずかしがって遊びたがらないという意見がありました。じゃあ、子供が自分自身で叩いている気分になりつつ、横から自然と親がサポートできるスタイルを作ろうということで生まれたのが「パパママサポート」だったと記憶しています。『アンパンマンのマーチ』とか、低年齢層向けの曲をパパママサポート機能に対応するようにしたら、けっこうな人気でしたね。

笹岡:幼い子は(自分だけで)プレイできないながらも、自分でやりたいという気持ちが強い。そこで、親が手取り足取りガッツリ手伝ってしまうのではなく、こっそりフォローして、子供が自分の力でやり切ったと実感させるのがベストなんですよね。1回のプレイ料金で2人が一緒に遊べる上に、親のサポートがありつつ子供もきちんと遊べて成功している気分になれる。そんなシステムが作れていると思います。

――素晴らしい機能だと思います。これも本作の客層の拡大に一役買っているのは間違いないでしょうね。

市川:子供用の踏み台を用意しているお店もありますし、実際にパパママサポートでプレイしてくれる親子は多いですね。

――高齢者用に作られた『太鼓の達人 RT~日本の心~』についても教えていただけますか。

中館:「RT」は「リハビリテインメント」という造語です。『太鼓の達人』を、高齢者向け施設でリハビリ機器として活用してもらえるのではないかという発想から作られたタイトルで、2004年11月には『太鼓の達人 RT~日本の心~』を発売しています。仕様としては、太鼓を高さの低い移動式台座に設置し、車椅子の方もプレイできるようになっています。

――幼い子供へのサポートだけでなく、高齢者のことまで考えられこのようなバージョンが出されていたとは驚きました。

中館:バチには握力支援ベルトを付け、握る力が弱くてもバチを落とさず叩けるような工夫もしています。楽曲には童謡や民謡など、高齢者の認知度が高いものを選んで収録していますね。

高齢者向けに開発された『太鼓の達人 RT(Ver.4)』のチラシ。右下には同じくリハビリテインメントマシンの『ゲートボール倶楽部 RT』の紹介も

――最後に皆さんにお尋ねしたいのですが、『太鼓の達人』がこれだけ長く愛されている理由は、どこにあると思いますか?

笹岡:他のゲームに比べ、間口が異様に広くて、誰でも楽しめるというのが勝因だったと考えています。20年近く本作を作り続けてきましたが、ここまで長く愛されるとは想定していなかったですね。純真無垢な、闇のないピュアな心で接することができるキャラクターたちとともに、これからも末永く愛されるゲームになってくれたらと思っています。個人的には今後もさらにキャラクターの横展開を広げていくつもりなので、期待していてください。

中館:ゲームの枠にとらわれず、世の中で流行っているさまざまなものとコラボしたりして、幅広い客層にアピールできたという自負はあります。あとは、変えるところと変えないところを、時代に合わせてしっかりコントロールしていったのが大きいと思います。ゲームの基本ルールはずっと変わっていないですからね。でも、収録曲は積極的にどんどん入れ替えていきました。

市川:和太鼓のゲームだったらなんでもヒットしたかというと、僕は全然そうではないと思う。やっぱり最初にゲームシステムをきちんと考えていましたよね。やっていて楽しい、何度もやりたくなるようなシステムを作ったのが成功要因であり、そういう意味で「開発陣、天晴れ!」と僕は真剣に思っています。かつ、収録曲を1曲1曲、最適なチューニングをして、手抜きをせずこだわって作っている。そこも長続きの秘訣でしょうね。

矢野:見た目で何をするかがすぐに分かる作品であることが大きいと思います。そしてアングラ感がまったくない、すごく健全なイメージを持つゲームであること。すでにいろんな人の生活に馴染んじゃっているというか、もうそういう位置まで来てしまっているゲームですよね。これからも基本となるしっかりしたゲーム性は崩さず、時代に合わせて変わるところだけ変えていけば、ずっと愛され続けていくんじゃないかと思います。

次回は「太鼓の達人誕生秘話 現在に至るまで 後編」ということで、メンバーを一部入れ替えて、業務用から家庭用の誕生、現在から未来の『太鼓の達人』についてお話を伺います。

取材・文/忍者増田
フリーライター。元ゲーム雑誌編集者。忍者装束を着て誌面やWeb上に登場することも多い忍者マニア。https://twitter.com/Ninja_Masuda

協力:ゲーム文化保存研究所(IGCC.JP)
https://igcc.jp/