リズムゲームの定番として老若男女に親しまれる『太鼓の達人』シリーズは、2021年に20周年を迎えました! 今回はシリーズ初期から開発に携わってきたメンバーも招き、譜面作りや制作の舞台裏をインタビューします!
『太鼓の達人』シリーズがアミューズメント施設に登場したのは2001年。明るく賑やかな世界観が幅広い年代に受け入れられ、翌2002年には家庭用ゲームに進出しました。現在はスマートフォンアプリもリリースされ、さまざまなプラットフォームでお楽しみいただけるタイトルになっています。
長きにわたって、幅広い年代に支持され続けている本作は、どのように開発されてきたのでしょうか。インタビュー前編では、プロデューサー陣に今後の構想を聞きました。後編となる今回は、シリーズ初期から開発に携わってきたメンバーも招き、譜面づくりや制作の舞台裏をインタビューします!
笹岡武仁
増渕裕二
株式会社バンダイナムコスタジオ技術スタジオ制作部サウンドユニット1 サウンドデザイナー(サウンドディレクター・エンジニア・データマネジメント担当)
江藤裕平
株式会社バンダイナムコアミューズメントラボ 開発本部企画部/開発ディレクター(アーケード『太鼓の達人』シリーズ開発統括兼プロデューサー及び譜面制作担当)
チームも開発も日進月歩。シリーズ初期を知るメンバーが振り返る20年の思い出
――この度は20周年おめでとうございます! 中でも笹岡さんは初代アーケードから携わっているそうですね。周年を迎えて感慨深いものがあるのではないでしょうか。
笹岡:ありがとうございます。シリーズ立ち上げから20年が経ちましたが、当時はこんなに続くシリーズになるとは思っていませんでした。僕も開発当初はビジュアルセクションを担当していましたが、今では開発プロデューサーを務めています。
――開発初期のエピソードは過去のインタビューで話されていましたね。バケツをひっくり返して叩いたり、他部署から音に苦情が来て専用の部屋を用意してもらったり……。
笹岡:開発当初は勝手が分からず、手探りだらけでいろいろと試行錯誤をしてきました(笑)。今ではとても懐かしい思い出です。
――笹岡さんと同様に、増渕さんもシリーズ初期から携わっているそうですね。
増渕:私は2001年のアーケード3作目からチームに加わり、サウンド制作や演奏システムの調整をしてきました。開発に関わって約20年になりますが、いまだにプレイしていると「楽しいなぁ」と思う時があって普遍的な面白さがあるのを感じてます。この20年間で開発チームも大所帯になり、世代の入れ替わりが起きて、新しいメンバーが続々と入ってくるようになりました。
――初代『太鼓の達人』が稼働した年に生まれたお子さんが成人になっていると思うと、すごく重みのある年月ですよね。残る江藤さんは、増渕さんがおっしゃっていた「新世代」のメンバーですね。
江藤:僕は2008年にバンダイナムコゲームス(※現バンダイナムコエンターテインメント)に入社して、新卒1年目から『太鼓の達人』に関わらせてもらいました。主にアーケード版の開発統括として、企画からコンセプト設計、その他、譜面づくりにも関わっています。
――江藤さんは入社当初から『太鼓の達人』チームを希望していたのでしょうか?
江藤:そうですね。入社当時は Wii向けの家庭用ゲームが好調で、チームはとても忙しそうでした。シリーズとしても開発サイクルが早いので、「経験を積むならここだ」と思って希望したんです。開発に関わってから10数年になりますが、いまだにやりがいがある楽しいIP(※知的財産)ですね。
――シリーズを手がける中で変化してきたことや、印象に残っていることはありますか?
笹岡:立ち上げの時期から携わっているので、思い出はいっぱいあります。初代アーケードのロケテスト(※ゲームセンターでのテスト稼働)では、カップルやファミリー層など、想定していたよりカジュアルなお客さんが遊んでくださっていて、それがうれしかったです。家庭用ゲームが発売された時は、店頭でまだ小さなお子さんがパッケージを持って「これ買ってー」とご両親にお願いしているのを見て泣きそうになりました。
増渕:ありましたねー。開発サイドとして、ユーザーさんの反応はとてもうれしくて。20年で起きた変化ですが、ハードの進歩に合わせてゲームの挙動が変わっていきました。例えば、初代の筐体はブラウン管で動いていましたので、映像のレスポンスが早く特に何もする必要ありませんでした。一方、現在はフルHDの液晶が標準になって映像がキレイになった反面レスポンスが遅くなったので、その遅延による違和感を薄めるための厳密なタイミング調整が求められます。年々登場する新しい技術に対応するのが楽しくもあり、苦しくもあり(笑)。
――この20年の技術の進歩は目覚ましいものがありました。ハードの成長に対応するように『太鼓の達人』も進化していったのですね。
お祭りのリズムが“『太鼓の達人』らしい譜面”を生み出す
――ここからは話を変えて楽曲について教えてください。『太鼓の達人』シリーズはリズムゲームです。要素の多くを占めている楽曲は、どのように作られているのでしょうか?
増渕:まず選曲ですが、多くはヒットチャートからユーザーさんに馴染み深い曲を選んでいます。曲が決まると次は譜面の制作です。どのように叩くかを譜面に記していきますが、担当するスタッフによって作り方はさまざまです。例えば笹岡さんは楽曲が夢に出てくるまで聴き込んで作りますし、目立つ楽器を太鼓に置き換えて作る人もいます。私は「もしこの曲に太鼓のパートを付け加えるなら」と想像して、一番難しい鬼コースから作っていきます。江藤くんも譜面づくりの方法論を持っているよね?
江藤:意識しているのは、ターゲットを明確にすることですね。「この曲を一番楽しんでもらいたい人は誰だろう?」と想像するんです。例えば日曜の朝に放映している戦隊モノの曲なら、小さいお子さんが遊ぶはず。だから、難易度は控えめで、素直で叩きやすいリズムでまとめよう、とか。
――特に決まった手法があるわけではないんですね。
江藤:譜面を担当するスタッフは多いので、作り方は本当に十人十色ですね。
――とはいえ20年間続くタイトルなので、蓄積されてきたノウハウがありそうです。譜面作りにおける「秘伝のタレ」を教えてもらえませんか?
江藤:個人的には「らしさ」が大切だと思っています。単に楽曲のリズムに合わせて打点を設けても『太鼓の達人』らしくなりません。どうすれば「らしく」なるかというと、日本人の遺伝子に組み込まれてきた「和太鼓のリズム感」が重要なんです。例えば「ドンドンドン、ドドンドドン」や「ドドンコドンドン、ドドンコドンドン」など、盆踊りや夏祭りで聴いてきたリズムが入ると、途端に『太鼓の達人』らしくなります。
――たしかに、シリーズの楽曲には日本らしいお祭りのリズムが感じられますね。
江藤:そうなんですよ。とはいえ「ドンドンドン、ドドンドドン」だけでは単調になってしまうので、曲の展開に合わせて変化や抑揚をつけています。
増渕:あくまでもリズムゲームなので、遊ぶ人が飽きない工夫が必要です。一曲の中で起承転結があるのが理想的ですね。例えば、シリーズの定番収録曲「夏祭り」は、曲を聴かずに遊んでも楽しい譜面だと思います。
『太鼓の達人』はリズムゲームのイメージを変えたタイトル
――ここまでは制作のやりがいや舞台裏を聞いてきましたが、逆に苦労したエピソードはありましたか?
増渕:演奏システムについてですが、プラットホーム毎にクセがあって挙動に違いがあるので、移植の度にチューニングしていくのが大変ですね。最初にシステムを組み上げた時、パッと見は出来ているようでもガタがあって高い精度に応えることができない状態になっていることが多いんです。見た目は乗用車でもF1のエンジンを作っている気持ちです。毎回、計測や調整でひと月ぐらい掛かってます。「正しい位置で叩くと高得点が出る」という当たり前のことをちゃんとやることによって、リズムゲームとして「叩いて楽しい」「気持ちいい」を追求しています。
笹岡:長らく制作に携わってきて、その都度苦労はありましたが、総じて楽しみながら開発させてもらいました。
振り返ってみると、開発当初の試作段階では、現在の『太鼓の達人』とは異なる点も多かったです。例えば、譜面は現在のように「右から左に」ではなく「中央に向かって左右から」流れてきました。
現在は看板キャラクターになっている「どんちゃん」も、初めはゲーム内の打点を表す記号でしかなかったんです。そこにカジュアルなユーザーさんが難しいゲームと感じてしまわないように音符に顔と表情をつけてかわいくしていきました。そこからさらに手足をつけ、このゲームに愛着を持ってもらえるよう「どんちゃん」というマスコットキャラクターを作りあげました。
また、筐体のデザインを決める時にも紆余曲折がありました。アミューズメント施設に置くものなので、一眼でどのようなゲームか伝えなきゃいけない。そこで和太鼓をどーんと据え付けたんです。2つも。さらに和太鼓を補強するイメージとして日本人に根付いた「お祭り」要素をベースのデザインとして、かわいいキャラクターを加え、賑やかなイメージを作り上げていきました。
完成した初代『太鼓の達人』は、お子さんからお年寄りまで、誰もが楽しめる親しみやすいゲームになりました。2001年当時のリズムゲームは全般的にクールでサイバーなデザインが多かったけれど、『太鼓の達人』は明るく賑やかで、リズムゲームの印象を変えたタイトルだと思っています。
――たしかに『太鼓の達人』はリズムゲームのなかでも親しみやすいタイトルですね。ショッピングモールから繁華街のゲームセンターまでさまざまな場所に置かれていて、さまざまな年代のユーザーさんが遊ぶ姿を見かけます。幅広い層が遊ぶ作品なので、開発チームにはたくさんの意見が届いていると思います。
笹岡:おっしゃるとおり、多種多様なご意見をいただいています。譜面や遊びの要素を決めるうえでユーザーのニーズを起点としてアイデアや改善点を検討するので、ユーザーさんの声はとても重要です。初代のころはなかなかお客様の「生の声」を聞くことが難しく、お葉書や匿名掲示板からご意見をいただいていました。最近ではTwitterなどSNSでご意見いただけたり、お客様との距離も近くなりましたね。
江藤:ゲーム開発には正解がないので、どうしてもユーザーさんの声にすがりたくなる時もあります。一声がとてもうれしいこともある一方で、傷つく時も(笑)。ただ、自身の意見を書き込むのは、すごくエネルギーが必要な行為です。否定的な意見が「好きの裏返し」なこともある。だから、どのような声も貴重なご意見として参考にさせてもらっています。
今後は海外展開も! 『太鼓の達人』の進化は続いていく
――最後に、今後『太鼓の達人』をどのようなシリーズにしていきたいか、構想はありますか?
増渕:個人的には「遊ぶたびに新たな音楽と出会えるゲーム」にしていきたいです。初期シリーズでは誰もが知っているJ-POPを採用していましたが、タイトルを重ねるうちに曲数が足りなくなり、ナムコオリジナルの曲を入れるなかで「さいたま2000」など、コアなジャンルの楽曲も増えてきました。
「さいたま2000」はロッテルダムテクノというジャンルで、普段は触れる機会が少ない音楽ですが今では大人気の定番曲になっています。世の中に知られざる色々な音楽があるので、これからも『太鼓の達人』を通して発信していきたいですね。
江藤:僕は海外展開を進めていきたいです。音楽を聴いて、リズムに合わせて体を動かすことは、世界共通のプリミティブな遊びだと思っています。『太鼓の達人』は音で遊ぶ有力なコンテンツですが、海外での認知度はこれから。いつか世界中で「音楽にノって遊ぶなら太鼓の達人だよね」と言われるシリーズにしていきたいです。
笹岡:世界進出は進めていきたいし、『太鼓の達人』はそれだけのポテンシャルを秘めた作品だと思います。『太鼓の達人』はユーザーの皆さんの応援で20周年を迎えることができました。これからも、様々な形でみなさんの生活の中に「音楽にノって太鼓を叩いて遊ぶ」を提供していきたいですね。これからも変わらぬ応援をお願いします!
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取材・文/鈴木 雅矩
1986年生まれのライター。ファミコン時代からゲームを遊び、今も毎日欠かさずコントローラーを握っている。
株式会社バンダイナムコアミューズメントラボ 開発本部企画部/開発プロデューサー(元ビジュアルアートディレクター)