1980年の発売以降世界中で愛され続けているパックマンが、発売から40周年を迎えました。ファンファーレでは、この作品に関わってきた多くの方々にお集まりいただき、3本立てでその歴史を紐解きます。
You can read this article in English (published June 17, 2021)
前編・中編では、1980年に発売した『パックマン』の開発に関わっていた皆さんに当時のエピソードについてお話をうかがいました。特集の最終回となるこの後編では現在のゲーム・グッズ、そしてIP(知的財産 ここではキャラクターのことを指す。)としてのパックマンを支える皆さんに、パックマンの今、そして未来について語っていただきました!
宮河恭夫
現チーフパックマンオフィサー
バンダイナムコエンターテインメント代表取締役社長
鵜之澤伸
初代チーフパックマンオフィサー
元バンダイナムコゲームス(当時)代表取締役副社長
現バンダイナムコホールディングス
IP戦略本部アドバイザー
1981年にバンダイ入社。ホビー部で『ガンプラ』などの営業企画に関わった後、フロンティア事業部にて『機動警察パトレイバー』など多くの映画・アニメのプロデュースを手がける
布施優
第3IP事業ディビジョン ライセンスプロダクション
パックマンルーム マネージャー
2007年バンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。家庭用ゲームのマーケティングに携わる。海外駐在、ライセンス事業を経て、現職
宇出津和仁
第3IP事業ディビジョン ライセンスプロダクション
パックマンルーム アシスタントマネージャー 広告・デジタルコンテンツ許諾担当
1996年ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。業務用ゲーム機開発(パニックパーク、筐体グラフィック、インダストリアルデザイン)・宣伝(太鼓の達人、ミスタードリラーシリーズなど)、家庭用ゲームの宣伝(テイルズ オブ シリーズ、アイドルマスターなど)・プロデュース(塊魂シリーズ、アイドルマスターシリーズなど)、2017年よりライセンス事業(国内パックマン及びナムコ自社IP全般)を経て、現担当。
熊谷美智子
第3IP事業ディビジョン ライセンスプロダクション
パックマンルーム アシスタントマネージャー 商品化担当
2002年バンダイビジュアル(現バンダイナムコアーツ)入社後、バンダイナムコエンターテインメントにてライセンス事業を担当
大久保元博
第3IP事業ディビジョン ライセンスプロダクション
パックマンルーム アシスタントマネージャー ゲーム制作担当
1996年ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。営業部門(ロケーション)を経て、2001年より携帯コンテンツの海外事業開拓に着任し、パックマンを中心としたクラシックコンテンツの海外展開を手掛ける。
2014年に家庭用コンテンツプロダクション部門に異動し、家庭用鉄拳7、ソウルキャリバーVIのプロデューサー職を経て、2020年より現職。
パックマンとの出会い。世代の異なるそれぞれが感じた印象は?
――まずは、皆さんとパックマンとの出会いについて教えてください!
宇出津:『パックマン』が発売された1980年、僕は小学1年生で富山県の漁師町で暮らしていたんですが、当時なぜか父親に連れていかれたスナックにテーブル筐体がひとつだけあって、それが『パックマン』だったのを覚えています。めちゃくちゃ光り輝いていて……そこでプレイしたのが初めてでした。これ、入社試験の時にも言いましたね(笑)。
熊谷:私の場合もちょっと似ていて、父親が技術系の人間だったので、ファミリーコンピュータが出た時に、「家庭用でこんなマシンが出るのはすごい!」ということで、ゲーム機本体と『パックマン』のソフトを買ってきたんです。それがパックマンとの出会いでした。
鵜之澤:僕と宮河さんは1981年のバンダイ入社ですから、1980年はまだ学生ですね。『パックマン』はナムコ(当時)の新作として出たのは知っていて。ただ、発売後すぐにやったんですが、僕はどうも下手だったのを覚えていますね……(笑)。
宮河:僕の場合、当時から存在は知ってはいたものの、そのころは音楽に夢中で積極的に遊んでいたわけではありませんでした(笑)。ただ、『パックマン』のサウンドロゴは耳に残っていて、すごいなと思っていました。ナムコ(当時)のサウンドって、今もそうですが、当時も秀逸でしたよね。
布施:僕が初めて触れたのは高校時代、留学していたころに遊びに行ったアメリカ人の友だちの家でした。その友だちはゲーム好きというわけでもなくて、家にあるソフトも少なかったんですが、その一つが『パックマン』だったんです。当時の僕は英語もあまり話せなかったので、「これならお前も分かるだろ」と誘ってくれたのかもしれません。その後入社して、実際にパックマンに関わりはじめたのは2年前からですが、「こんなにすごいIPだったのか」と、改めて実感しています。
大久保:僕は『パックランド』(1984年)を遊んでいた記憶がすごくありますね。5年ほど前に親が実家を引っ越すので荷物を取りにいったら小学校5年生の時の文集が出てきたんですが、読み返してみたら僕は「趣味」の部分に好きなものとしてパックマンの絵を描いていたんです(笑)。
宇出津:へええ!
大久保:「えっ、昔の自分がパックマンを描いている!」と驚きましたし、そんな自分が今パックマンのゲームに関わっているというのは、ちょっと感慨深いですね。小学5年生の自分に「お前頑張れよ」と言ってあげたいです。
パックマンのために生まれた「チーフパックマンオフィサー」「パックマンルーム」とは?
――宮河社長は現チーフパックマンオフィサーでいらっしゃいますが、その役職はどのように生まれたのでしょうか?
宮河:バンダイナムコグループには、『ガンダム』シリーズの「チーフガンダムオフィサー」のようなIPを推進していくための役職があるんです。それと同じものをパックマンでも作ろうという経緯で生まれたものですね。
――バンダイナムコグループには、ほかにも「チーフたまごっちオフィサー」など、IPの責任者として役職が設けられているのですよね。
鵜之澤:これはもともと、2000年代にバンダイとナムコ(当時)が統合した際にその融和を図るために考えられた施策のひとつでもあって、以前からIPを重視してきたバンダイの制度を、ナムコ(当時)の代表的なIPであるパックマンにも応用して生まれたものでした。そこで、僕が当時のバンダイナムコエンターテインメント代表の石川祝男さんに初代チーフパックマンオフィサーとして任命されたんですよ。
――チーフパックマンオフィサーには、どんなお仕事があるのでしょう?
宮河:一言で言えば、「パックマンを盛り上げていこう」と言い続ける人なんだと思います(笑)。言い続けることってすごく大事だと僕は思っているんですよ。人って言わないと忘れてしまうものなんです。今回のパックマンの40周年に際しても、「盛り上げていこう」と言い続けていたら、「こんな施策が決まりました!」と皆さんがいろいろと考えて進めてくださって。
たとえば、「CATトライアルシリーズ(※1)」のコラボレーション動画もすごかったですよね。こうした活動の中で、パックマンの“タレント”としての可能性を実感しました。
※1 CATトライアルシリーズ:世界最大の建設機械メーカー・キャタピラー社(略称:CAT)が制作している動画シリーズ。同社が開発している重機を用いてさまざまなチャレンジを行う。
――パックマンを専門的に担当する部署「パックマンルーム」も今年新設されたそうですね。
布施:そうですね。我々はもともとライツ部として版権周りの仕事をしていて、ゲーム制作については専門の事業部が行なっていたのですが、それを一つにくっつけて「パックマンルーム」が生まれました。その大きな目的は、IP軸で事業を考えていこうということです。熊谷がやっている商品化事業、大久保がやっているゲーム事業、そして宇出津が担当している広告・ゲーム許諾事業の3つのチームを中心に進めています。
宮河:今回パックマンの40周年に関わってみておもしろいと感じたのは、ものすごく変化するということです。パックマンのいろいろな事業を見ていても、常に変化しているような感じがするんです。何十年と変わらないことが魅力となっているキャラクターもある一方で、パックマンの場合は、「黄色くて、丸い」という条件があるだけで、あとは自由にやってくださいという雰囲気なんです。今ここに、歴代のパックマンのスタイルガイドがありますけど、こういうものが頻繁に出ているIPって、そうそうないと思うんですよ。
――たしかにパックマンの場合、横スクロールアクション、パズルゲーム、3D、ARと、ゲーム自体も常に変化していますね。
宇出津:オリジナルの発売後も、パックマンはさまざまなシリーズが発売され続けていて、複数人プレイが可能になったり、横スクロールアクションになったり、パックマンがしゃべるようになったりと、パックマンは作品ごとに進化し続けています。スタイルガイドに関しては――。
熊谷:現在のスタイルは30周年の時に整備したものですね。
宇出津:僕は4年前にライツ部に移るまで、もともとバーチャルコンソール(※2)、PSゲームアーカイブスのタイトルや『パックマンチャンピオンシップエディション2』(2016年)のプロデューサーをやっていたんですが、パックマンはアメリカで圧倒的な人気がある強いIPという印象で。日本では熱量のある人が多くいるというより、広く浅く知られている感覚でいました。ところが、5年ほど前に『COACH』とコラボレーションをした時に、「女性向け?本当に売れるの?」と疑問に思っていたところ、「ファッションとして人気があるんですよ」と言われて。「本当に?」と思っていたら、それが本当に売れた、ということがありました。
※2 バーチャルコンソール:かつて発売されていた一部のコンピューターゲームや、かつて設置されていた一部のアーケードゲームをダウンロードし、任天堂のゲーム機(Wii、ニンテンドー3DS、Wii U)で遊ぶことができる任天堂のサービスのこと。
――なるほど。変化し続けてきたIPだからこそ、見られ方や愛され方も時代と共に変わってきているということですね。
宇出津:そのうえで、パックマンの原点にあるコンセプトが、すごく普遍的だと感じています。「食べる」というキーワードは誰にとっても身近なものなので、いろいろなクリエイターの方に料理してもらっても、原作の芯がちゃんと残せると思うんです。また、16×16のドット絵・ビビッドな色合いでデザインとしても完成しているので、逆にキャラクターをそのまま使っても映えます。こういったところにパックマンのいつまでも色あせない魅力があるのだと思います。ただ、ゲーム制作の大久保のような立場だと、かえって苦労することも多いようですが(笑)。
大久保:1980年にリリースされた『パックマン』は、究極の引き算でできていて、その時点ですでにゲームとしては完成度がものすごく高いんですよね。そのため、いろんな方向に足し算ができるという面もありますが、同時になかなかオリジナルを超えられないという難しさもあるんです。この4月からパックマンルームが立ち上がって、より長期的な展望を持ってゲーム制作が考えられるようになったので、戦略的にさまざまな方向に線を引きながら、新しいパックマンを目指しているところです。
パックマンの魅力をもう一度伝えよう。30周年のキャンペーン「PAC IS BACK」
――パックマンはグッズ展開も多岐にわたっていますね。
大久保:国内だと、ここ5年ぐらいで幅が広がった感じですよね?
宇出津:そうですね。ただ、海外はもっと前から幅広く商品が出ています。
熊谷: 1980年代のブームのころからさまざまな商品が生まれていましたが、その後一旦落ち着いて、30周年に当たる2010年のタイミングでもう一度、会社全体で本格的に盛り上げようという動きになりました。私がパックマンのライセンスに携わるようになったのはその数年後だったのですが、ちょうど30周年の時に発表されたTVアニメが全世界展開するのと並行して、オリジナル版のライセンスも国内外で積極的に実施していこうという時期でした。
大久保:私はそれまで何年かパックマン関連の打ち合わせに出ていなかったんですが、当時5年ぶりぐらいに出てみたら本当にいろいろなグッズが出ていて、驚いたのを覚えています。
――30周年の時のテーマが「PAC IS BACK」だったと思うのですが、それが今の状況につながっている部分も大きいのでしょうか?
鵜之澤:それまではあまり国内で盛り上がるようなタイミングを作ることができていなくて、海外で新作ゲームが時々出るような感覚でした。そういう意味でも、あの「チーフパックマンオフィサー」という役職を設けて、パックマンを盛り上げることができたのはよかったのかもしれませんね。
30周年に際しては、フルCGで制作した新作TVアニメ『PAC-MAN and the Ghostly Adventures』を製作して、その際に「何をするか/しないか」「どんな性格か」というパックマンの基本的な設定を、改めて詰めていきました。その時のストーリー原案かつエグゼクティブプロデューサーが、マーベル作品のプロデューサーとして知られているアヴィ・アラッドさんです。彼がプロデューサーとして立ってくれたので、基本的にはハリウッドのスタッフの方々と一緒に作っていきました。そうして完成したアニメは内容も好評で、アメリカでは1週間に50回くらい放送されるほど人気の作品になったんです。
――宮河社長は、30周年の時点でのパックマンをどう見ていましたか?
宮河:僕はそのころ、サンライズでガンダム立像を作ったりしていたので、パックマンのことをよく見てはいなかったんですよ。でも今お話を聞いていても、30周年の時に行なったことが、今につながるきっかけになったんだなと思います。そもそも長く続いてもその間ずっと人気がある作品というのはそうありません。これはIPが持つ宿命なんですよ。ガンダムだって暗黒時代がたくさんあったし、パックマンだって日本では海外ほど受け入れられない時代が続き、30周年でその流れが変わってもう一度復活していったんだと思います。
鵜之澤:僕が担当したパックマンの30周年の時は、バンダイとナムコ(当時)の統合直後で、ナムコを立ち上げられた中村雅哉さんが会長としてご健在で、とにかくパックマン愛が強かったのをよく覚えています。当時、アヴィ・アラッドさんが中村さんに「パックマンを映像化したい」と話をしたんです。映画化の話になるのかと思ったら、石川祝男さんが「TVシリーズにしたらいいんじゃないか?」とアイデアを出されて。そのアイデアに、中村さんもアヴィ・アラッドさんも賛成されました。そこから、僕のほうでどんな作品にするのかを詰めていき、その時点でパックマンにあったCGキャラクターを活かしてアニメを作りました。
――30周年の際には、パックマンの誕生日である5月22日の0時から、Googleのトップページで『パックマン』が遊べるようになる、という施策も話題になりました。
熊谷:あれは、先方からお話をいただいて実現した企画ですね。
大久保:Googleのプログラマーの方が作ってくれて、こちらからは基本的に何の情報も出していないんですが、原作に忠実でかなりしっかりしたものにしてくれました。
――バンダイナムコエンターテインメントからノウハウを提供したわけではなかったんですか?
大久保:そうなんです(笑)。それなのに、本来なら知っている人しかこだわれないような部分までを再現してくれて本当に驚きましたし、愛されているんだなと感じました。ゴーストのアルゴリズムもそうですし、パックマンが角を曲がる時に先行入力するとちょっと早く曲がれる部分もなども含めて、好きな人が作ってくれたということが伝わってくるものでした。
熊谷:また当時の施策としては、日本で30周年の発表があり、ニューヨークでパックマンのゲーム大会が開催され、そして世界最大のゲームショウ『E3(Electronic Entertainment Expo)』では、パックマンのカンファレンスが開催されています。『パックマン展』も開催されて、過去のすべてのパックマンが集まっていました。
宇出津: その10年前に当たる20周年の時は、国内では『東京ゲームショウ』にパックマンで史上初のパーフェクトゲームを達成したギネス記録保持者のビリー・ミッチェルさんをお呼びして表彰したことと、プレイステーション用タイトル『パックマンワールド 20thアニバーサリー』を出したぐらいだったと思います。比べて考えてみると、30周年は盛り上げるためにいろいろと用意していたことが分かりますね。
――そこから、IPとしての受け入れられ方の変化を感じる機会はありましたか?
大久保:一例として、最近の若い子の多くは、パックマンのことを『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL(以下、スマブラ)(※3)』の登場キャラクターとして認知しているそうです。オリジナルの『パックマン』を知らないけれども、キャラクターそのものはそのような入口で知っている子も多いんです。
※3 大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL:任天堂より2018年に発売されたNintendo Switch用対戦アクションゲーム。シリーズの6作目であり、当作品からパックマンがファイターとして登場した。
宮河:それはおもしろいですね。そうやっていろんなゲームに出ていくことでパックマンを知ってもらえる機会になるわけだから、今後も積極的にやっていくべきだと思います。「あらゆる場所にパックマンがいる」という状況になってもいいはずで。
宇出津:特に『スマブラ』のパックマンには、パックマンの良さが全部詰め込まれ、どういうキャラクターなのか魅力が分かるようなものにしてくださっていて、本当にありがたいです。自分が地域のクラブの子どもたちにサッカーを教えていても、その子たちがパックマンを知っていて不思議だったんですが、それも『スマブラ』のおかげかもしれないですね。
――パックマンがそこまで愛される理由は何だと思いますか?
宮河:やっぱり、かわいいからですよね。
布施:ここまで全世界、全世代に受け入れてもらえる存在って、そうそういないんじゃないかと思います。国籍や性別を問わず人気があって、敵も作らない、珍しいキャラクターですよね。
宇出津:たまに「パックマンって笑ってますよね?」って聞かれるんです。食べるために開いている口が、笑っているようにも見えるんですね。「食べる」ことは人の根源ですし、パックマンを開発した岩谷徹さんのテーマ選びから秀逸だったのかなという気がします。
鵜之澤:あと、パックマンはデジタルなキャラクターでもありますよね。それが今の時代に合っているというか。昔からあるキャラクターの中でも、そういったキャラクターはなかなかいないように思います。
宮河:たしかに。もともとドット絵からはじまった、デジタルなキャラクターですからね。
「パックマンの世界においでよ!」40周年のテーマは“身近な存在になる”こと!
――そして40周年に際しては、「JOIN THE PAC」というテーマでさまざまなキャンペーンや企画が行なわれています。これにはどんな思いが込められているのでしょう?
熊谷:40周年に際しては「認知が高い」「ただ知っている」という状態から一歩踏み込んで、「好きになってもらいたい」「参加してもらいたい」と考えていたんです。もっと積極的に多くの人に身近な存在としてかかわっていきたいということで、「パックマンの世界においでよ!」=「JOIN THE PAC」というテーマに決まりました。
宮河:パックマンについては、アイコンとしてどうやって身近に置くかが大切なように思います。そういう意味でも「JOIN THE PAC」というのはすごくいいテーマだと思いました。
――この40周年に際しても、新作ゲームが続々とリリースされていますね。また、『マインクラフト』のゲームパックも話題になりました。
宮河:あれはとてもおもしろいですよね。
熊谷:『マインクラフト』のゲームパックに関しては、先方からやりたいとオファーがあったものを許諾した形ですね。
大久保:Googleさんの会員制クラウドゲームサービス・Stadiaで配信している『パックマン メガトンネルバトル』は、クラウド技術をつかったハードが不要なプラットフォームの利点を生かして、ダウンロードしなくても最大64名が一堂に会して戦えるバトルロワイヤル形式のゲームになっています。プレイする様子を見た人が「おもしろそう」と思えばすぐ参加することができます。
――どちらも、時代に即した『パックマン』になっているということですね。
大久保:そうですね。より手軽に、より身近に、そしてみんなで、楽しめるように進化していると思います。何より大事なのは、みんなで遊べるということですね。
――まさに「JOIN THE PAC」と言いますか、パックマンに触れられる場所を増やしていくイメージですね。今後のさらなる展開については、どんなことを考えていますか?
宮河:まだ詳しくは言えませんが、実は今一つ大きな仕掛けを考えているところなんです。僕はそれが実現すればいいなと思っているところですので、楽しみにしていてください。
宇出津:より多くの人に親しんでもらえるIPになってくれたらいいなと思っています。僕らパックマンルームはパックマンだけではなくて、ギャラガ、ゼビウス、リッジレーサー、ミスタードリラーのようなナムコ(当時)のタイトル群の版権も扱っているので、そういった作品も含めて底上げしていきたいですし、パックマンがほかのタイトルを引っ張っていってくれたらうれしく思います。
熊谷:その結果、生活の中で気がつけばパックマンがいたりするような、日常の中でより身近なものとして浸透したらとてもうれしく思います。
布施:2020年12月22日に開幕したNBAの今シーズンでパックマンとNBAがパートナーシップを締結したことを発表しました。今後ゲームやライセンス商品の分野で協業することを予定していて、すでにゲームアプリ『PAC-MAN』でNBA仕様のコラボステージの配信がスタートしています。
2021年は「パックマンと一緒に心身ともにイキイキした時間を届けたい」という想いから「Be PAC-TIVE!!」をテーマに、NBAをはじめスポーツや食、ファッションなどの分野での展開を計画しています。ライセンスの商品に留まらず、広告やゲームなどさまざまな分野でよりいろいろな国や地域に届けていきたいですね。今以上に多くの国でパックマンに親しみを感じていただければと思うので。
――ゲームに関してはいかがでしょうか?
大久保:今年に入ってパックマンルームができて、これまでよりももっと先を見据えて作れるようになったので、この5年以内に「新しいパックマンの遊び方ができたね」と思ってもらえるようなゲームを作ることが一つの目標です。先ほど申し上げた通り、今はいろんな方向に線を引っ張っている状態なので、それが結果的にいろいろな方へ新しいパックマンとしてお届け出来ればうれしいですね。
鵜之澤:10年前に30周年があって、今回の40周年があって……50周年の節目にパックマンがどうなっているのか、僕も楽しみです。パックマンには世界で認知されているというベースがありますし、世の中のゲームが複雑になりすぎているなかで“誰でも楽しめるゲーム”の可能性も持っていると思うので、これからもぜひがんばってもらいたいです。
――ゲームとして、IPとしてパックマンはまだまだ進化していきそうですね。
宮河: IPについて話すと、みんなブームが終わった時のことを考えがちで、人気があるうちに次のIPの話になることもあるんですが、僕はそれが好きじゃないんですよ。IPとはずっと続くものだと思っていて。そう考えれば40年というのは「まだ40年」でしかないと思うんです。人間も40歳は「まだこれから」ですからね。そういう意味でも、パックマンの今後をまだまだ楽しみにしていてもらえたらうれしいです。
※取材は2020年11月上旬時点の内容です。
※撮影時のみ、マスクを外しています。
【取材後記】
1980年の1作目誕生以降、40年も愛され続けているパックマン。その歴史は、これからもまだまだ続きます。はたして未来のパックマンは、人々にどんなふうに愛されることになるのでしょうか? 今から楽しみになりました。
取材・文/杉山 仁
フリーのライター/編集者。おとめ座B型。三度の飯よりエンターテインメントが好き。
1981年にバンダイ入社。その後サンライズで『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』を筆頭にした00年代以降のガンダム作品などを手がける